九歳の人は、もう一間で、人生の橋を渡りきるのです。もう一間でおしまいだと思ったとき、果たしてどんな感じが起こることでしょうか。橋の向こう側には、坦々《たんたん》たる広い道路《みち》でも開けておればまだしも、真の闇だったらどんな気持がすることでしょうか。私の故郷は、伊勢の神戸《かんべ》という小さな城下町ですが、小学校の門を、いっしょにくぐった人たちは、四、五十人もあったでしょう。しかし現在いま故郷に生き残っている友だちは、もうたった五、六人くらいしかありません。どこへ行ったのやら、いつの間にか、ボツンボツンと、まるで水上の泡《あわ》のように消えてなくなりました。六十間の橋を、いっしょに全部渡りきるのだということが、はじめからわかっておればともかく、それがはっきりしていないのですから、全く心細いわけです。あの有名な『レ・ミゼラブル』を書いたフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、「人間は死刑を宣告されている死刑囚だ。ただ無期執行猶予なのだ」といっていますが、たしかにそうです。無期執行猶予なのですから、いつ死ぬかもわからないのです。さすがは文豪です。うまい表現をしたものです。弘法大師は『宝鑰《
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