です。それが、いわゆる惑業苦の関係[#「惑業苦の関係」に傍点]です。ちょうどあの酒飲みの一生のように、私どももまた同じことを、繰り返し繰り返しやっているのではありませんか。この因果関係、この縁起の関係を十二の形式によって示したものが、つまりこの「十二因縁」です。「十二縁起」といわれる「因縁の哲学」です。だから、無明に出発している私どもの人生は、苦であるのはあたりまえ[#「あたりまえ」に傍点]のことです。無明の無知を、根本的に絶滅しないかぎり、苦の世界は、いつまでも無限に継続してゆくのです。したがって、はじめから無明がなければ、無明の尽きることもなく、自然、老死もなく、また老死のつきることもないわけです。
 死は生によって来る[#「死は生によって来る」は太字] 今からおよそ千三百余年前に、支那《しな》に嘉祥《かじょう》大師というたいへん有名な方がありました。彼は三|論宗《りんしゅう》という宗旨を開いた高僧でありますが、その臨終の偈《げ》に、こんな味わうべき偈文《ことば》がのこされているのです。
「歯を含み、毛を戴《いただ》くもの、生を愛し、死を怖《おそ》れざるはなし。死は生に依って来たる
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