は則《すなわ》ち十四、謂《い》うべし、簡にして要、約にして深し」
 といっているように、全くこんなに簡単にして明瞭なお経は決して他にないのであります。
 天下第一のお経[#「天下第一のお経」は太字] 次にまた、その名前のよく知れ渡っているという点では、あの『論語』にも匹敵するのであります。そして論語が天下第一の書といわれているように、この『心経』もまた昔から天下第一の「経典」といわれているのであります。とにかく、仏教のお経といえば『心経』、『心経』といえば仏教を聯想するというほど、このお経は、昔からわが日本人とは、きわめて縁の深いお経なのであります。
 絵心経のこと[#「絵心経のこと」は太字] 今日『絵心経《えしんぎょう》』といって、文字の代わりに、一々絵で書いた『心経』が伝わっておりますが、これは、俗に『めくら心経』、または『座頭心経《ざとうしんぎょう》』などとも申しまして、文字の読めない人々のために、特にわざわざ印刷せられたものでありますが、それによっても、古来いかに広く、この『心経』が一般民衆の間に普及し、徹底しておったかを知ることができるのであります。ところで、今回お話し申し上げようと思う『心経』のテキストは、今よりちょうど一千二百八十余年|以前《まえ》、かの三蔵法師で有名な中国の玄奘三蔵《げんじょうさんぞう》が翻訳されたもので、今日、現に『心経』の訳本として、だいたい七種類ほどありますが、そのうちで『心経』といえば、ほとんどすべて、この玄奘三蔵の訳した経本《きょうほん》を指しているのです。ところが、前もってちょっとお断わりしておかねばならぬ事は、平生《ふだん》、私どもが読誦している『心経』には、『般若波羅蜜多心経』の上に、「摩訶《まか》」の二字があったり、さらにまた、その上に「仏説」という字があるということです。学問上からいえば、いろいろの議論もありますが、別段その意味においてはなんら異なることがありませんから、このたびは玄奘三蔵の訳した経本によって、お経の題号《なまえ》をお話ししてゆこうと存じます。
 書物の題とその内容[#「書物の題とその内容」は太字] およそ「題は一部の惣標《そうひょう》」といわれるように、書物の題、すなわちその名前というものは、その書物が示さんとする内容を、最もよく表わしているものです。もっとも今日、店頭に現われている書物のうちには、題目と内容とが相応していないどころか、まるっきり違っているものも、かなり多くありますが、お経の名前は、だいたいにおいて、よくその内容を表現しているとみてよいのです。たとえば、経典のうちでも、特に名高いお経に、『|華厳経[#「華厳経」は太字]《けごんきょう》』というお経があります。これはわが国でも、奈良朝の文化の背景となっている有名なお経なのですが、ちょうど『心経』を詳しく『般若波羅蜜多心経』というように、このお経を詳しくいえば、『大方広仏華厳経《だいほうこうぶつけごんきょう》』というのです。さてこのお経は仏陀《ぶっだ》になられた釈尊の、その自覚《さとり》の世界を最も端的に表現しておるお経ですが、その「大方広」という語《ことば》は、真理ということを象徴した言葉であり、「華厳」とは、花によって荘厳《しょうごん》されているということで、仏陀への道を歩む人、すなわち「菩薩《ぼさつ》」の修行をば、美しい花に譬《たと》えて、いったものです。で、つまり人間の子釈尊が、菩薩の道を歩むことによってまさしく真理の世界へ到達された、そうした仏陀のさとり[#「さとり」に傍点]を、ありのままに描いたものが、すなわちこの『華厳経』なのであります。
 法華経のこと[#「法華経のこと」は太字] ところで、この『華厳経』といつも対称的に考えられるお経は『法華経《ほけきょう》』です。平安朝の文化は、この『法華経』の文化とまでいわれているのですが、この『法華経』は、くわしくいえば『妙法蓮華経《みょうほうれんげきょう》』でこれは『華厳経』が、「仏」を表現するのに対して、「法」を現わさんとしているのです。しかもその法は、妙法といわれる甚深微妙《じんしんみみょう》なる宇宙の真理で、その真理の法はけがれた私たち人間の心のうちに埋もれておりながらも、少しも汚されていないから、これを蓮華《れんげ》に譬えていったのです。
 いったい蓮華は清浄《しょうじょう》な高原の陸地には生《は》えないで、かえってどろどろした、汚《きたな》い泥田《どろた》のうちから、あの綺麗《きれい》な美しい花を開くのです。「汚水《どろみず》をくぐりて浄《きよ》き蓮の花」と、古人もいっていますが、そうした尊い深い意味を説いているのが、この『法華経』というお経です。自分の家を出て他所《よそ》へ「往《ゆ》く」その時のこころもちと、わが家へ「還る」その
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