てゐて、いつも敬服してゐた。
いちばん最後に逢つたのは、築地の魚利といふ料亭だつた。去年の十一月頃で、その時分喘息で大分弱つてゐたらしいが、それでも酒一本半位呑んだかな。
妙に懐かしがつて、帰りに自動車で私の家のところまで送つて来て呉れた。私の家の隣りの隣りが米内総理の今度のお宅だが、自動車がそこまで這入るんで、そこで車をとめ、私を見送つて、
「関根さん、体を大事にしておくんなさいよ」
と声をかけ、
「俺よりもあんたが」
と笑つて別れた。あれが最後の別れになつた。
熱海へ行くとその時も言つたので、私の知つてゐる家を紹介したが、そこの家へ行つたかどうだか。亡くなつたと聞いたのでよつぽど熱海まで迎えに行かうかと思つたが、丁度折悪しく、私も風邪を引いて寝てゐたので、行けなかつた。残念したよ。
それでもこつちの告別式に出かけて行つたが、流石にいろんなことを考へ出して、ヂーンと涙が出さうだつた。しばらく電柱に凭れてゐたよ。
私が明治元年生まれの七十三歳、本因坊は私と六ツ違ひだつたから六十七歳、まだまだこれからと言ふところだからネ。
私の健康法として何でも無理をしてはいかん。私な
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