したのに、碁石を二つやつたりする。冷静に考へると、そんなバカな話はないのであるが、夢中になつてくると、さういふことは間々あつたものである。その当時、黒川徳三郎四段や、上田|愛桂《あいけい》四段などは、よくその芝兼さんのお客にされてゐた。
 余興にやれば、なかなかに面白く、また力もつくものである。
 たゞ、あまり面白いから、はじめると凝るおそれがある。凝つてはいけない。浅草の魚伝《うをでん》の主人がこの手数将棋に凝つて大分入れあげたやうであつたが、芝兼さんには叶《かな》はなかつた。
 芝兼さんの他に、手数将棋の強かつた人に、京橋八丁堀の袋物屋の主人で中村といふ人がゐた。この人は攻める方で、耳が遠く、きこえるのかきこえないのか、トボけたやうな感じで、一手さしても石をなかなか渡さないのである。やはり、夢中になつてゐたりすると、守る方では石を取りそこなふやうなことが出来てきたりして、退治されてしまふのである。
 しかし、この手数将棋は繰りかへしていふやうに非常に興味の深いものであるが、やはり攻める方と守る方とであまり段がちがひすぎると面白くない。平手《ひらて》同志くらゐでやると、賑《にぎや》かではあるし、ひどく味のあるものである。
     *
 昨年ひどい喘息《ぜんそく》をやつたものだから、今年はどうかといふお見舞を方々からいただいたが、しかし、今年は用心して寒いあひだは一歩も家《うち》から出ないやうにしてゐたおかげで、喘息の方も大したことはなかつた。――お見舞を下さつた方々に茲に厚く御礼申上げ、御安心ねがひたいと思ふ。
 さういふ風に、ひどく元気で寒さも凌《しの》ぐことも出来たから、今年は場合によつては、水戸へも、仙台へも、豊橋へも、それから九州へも行つて、大いに動かうかとも考へてゐる。さうなればまたお土産の話もあるし、或ひは忘れてゐた昔の話を思ひ出すよすがにもならうと思ふ。



底本:「日本の名随筆 別巻8 将棋」作品社
   1991(平成3)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「棋道半世紀」博文館
   1940(昭和15)年2月
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2006年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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