駒台の発案者
関根金次郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)新富町《しんとみちやう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)小松|三香《さんきやう》
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 京橋の新富町《しんとみちやう》に、小松将棋所といふのがあつた。こゝの主人は小松|三香《さんきやう》と云ひ、将棋は四段であつたが、ある日、わたしがたづねて行くと、
「ちやうどいゝところへきた。――品川に川島楼といふ貸座敷があるが、その飯塚といふ主人が将棋が好きで、そこへ行くと飲ましてくれるし、また褒美《ほうび》にありつけるかも知れぬ。もし、暇だつたら行つてみたらよからう。」と、いふ。
 酒をのませてくれた上に、御褒美にまでありつける。――こんないゝ話は滅多にない。で、わたしは二つ返事で、その川島楼に行つてみた。
 こゝの主人は飯塚力造と云ひ、川崎の出身、もともと鼈甲屋さんだつたのが金を貯めて品川へ出て来たのであつた。
 さて、この川島楼の主人と将棋をさしてみたが、小松さんの話では大したことはなからうと思はれてゐたのに、いざ、盤に向つてみると、――いや強いの強くないの、ベラボーに強いのである。(をかしいな?)と思つて、主人に小松さんのことをきいてみると、なんのことはない、小松さんは御褒美をもらつたどころか、却《かへ》つて御褒美を出させられてかへつたといふのである。で、その口惜しまぎれに、仇《かたき》を討たせようと思つたのか、嘘をついてあたしを差し向けたのであつた。
 さらにあとでよくきくと、強いのも道理、この飯塚さんは(川崎小僧)といはれた名手であつた。(小僧)といふのは、その地方においてならぶものなき力を持つたものの別称である。たとへば、現在の名誉名人|小菅《こすげ》剣之助さんは名古屋の笠寺《かさでら》の生れだから、(笠寺小僧)と呼ばれ、本所に住んでゐた相川|次三吉《じさきち》さんは(本所小僧)と呼ばれ、わたしはまた(宝珠花《はうしゆばな》小僧)といはれてゐたやうなものであつた。
 その後、わたしは半香《はんきやう》などでさしたりしたが、なかなか強かつた。この飯塚力造さんが将棋さしの本職になつたらずゐぶん強くなつただらう。
 ――いまからざつと三四十年のむかしのことである。
 ところで、現在つかはれてゐるやうな将棋の駒台を発明したのは、実はこの飯塚さんであつた。
 飯
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