は欧州各国の錬金術師が集って来たが、その多くは錬金詐欺師に外ならなかった。ある時英国のケンブリッジの学者ジョン・ディーが助手のエドワード・ケリーを連れ、遥々、帝の宮殿をたずね、自分たちは鉛を金に変える術を知って居ると物語った。そこで帝は大に喜んで、早速実験させたところ、果して鉛を金に変ずることが出来た。その実、彼等は携えて来た光輝ある石を示して帝を催眠術にかけ、まんまと欺いたのである。彼等はそれによって沢山の報酬を貰い、ディーは化の皮のあらわれぬうちに英国へ逃げ帰ったが、助手のケリーはボヘミアの地主となりすまして居たため、後に、詐欺だということが明かとなって、帝のために殺された。
 有名なサン・ゼルマン伯や、カリオストロ伯なども、やはり、「哲学者の石」を発見したと称して、欧州の貴族社会の人々を欺いて歩いたものである。二十世紀になってすら、この種の詐欺は絶えぬのであるから、十八世紀の而も上流の人々を欺くのは比較的容易であっただろうと思う。彼等の駄法螺は大隈《おおくま》伯(侯[#「侯」に傍点]と書くべきだが、彼等と対照させるためにわざと伯[#「伯」に傍点]と書いた)などが十人寄ったとて叶うものではなかった。サン・ゼルマン伯の如きは、齢《よわい》二千歳でキリストを見たことがあるなどと豪語したものである。嘗て、ある人が、彼の従僕に向って、御主人は本当にそんなに年を取って居られるのですかと問うと、従僕はすました顔をして、
「さあ、よく存じません。私が御世話になってから、まだ、たった三百年にしかなりませんから」
 と、答えた。誠にこの主にしてこの従ありといわざるを得ない。これに較べると、百二十五歳まで生きるなどという法螺は、何でもないことになってしまう。而も、彼等のかような大法螺が、実際一部の人々からは真面目に受け容れられて居たのであるから、彼等の得意や思うべしである。
 錬金詐欺はあながち西洋にのみ限られたものではない。「煉丹《れんたん》」の盛んであった支那には当然行われて然るべきものである。『昼夜用心記《ちゅうやようじんき》』の中にある、細工師が本当の金をもって行って、慾の深い両替屋に見せ、自分が作った贋金だと欺いて、両替屋をそそのかし、沢山の資金を出させてそれを奪う話がある。両替屋は詐欺だったと悟っても、不正な動機で出した金であるから訴える訳にも行かず、泣き寝入りになった
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