者などの、及びもつかぬ感覚であり心境であるのだ。
 尤もこれ等のカフエーが新時代の要求によつて生れたかどうかは考へ問題である。小資本ではじめ得られて、比較的多くの収入があるといふことも、カフエーの殖《ふ》えた原因の一つであらう。何しろ、大須附近に、いはゞ一ばんはじめに、カフエー・ルルが出来たのは、まだたつた三年ばかり前であるのに、それ以後、四十軒にも殖えたのは、一種異様の現象でなくてはならない。はじめ易い商売だといつても、客がなければ自然につぶれなければならぬのに、ます/\殖えて行く傾向のあるのは、やつぱり新時代に適して居るからであらう。
 そのカフエーと共に、今名古屋で、漸次流行しようとして居るのが、ダンス・ホールである。大阪で禁止されたゝめの一種の調節現象かも知れぬが、そのダンス・ホールの一つが中村遊郭に出来て遊郭よりもよく流行つて居るのは皮肉なことゝいはねばならぬ。といふよりも、遊郭経営者の一考を要すべき点であらう。

 中村遊郭
 たとひ中村遊郭が、東洋一の建築美を誇つても、さうして今なほ木の香新らしく嫖客《ひようきやく》の胸を打つても、やはり遊郭は旧時代の遺物である。いつそ古
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