、珍らしい芸は見られなくなつた。昔は夜の大須は、到底広小路などの及ぶべくもないほど活気があつたものだが、遊郭がなくなつてからは、げつそりと寂しくなつた。観音堂裏は、昔の不夜城の入口で、今僅かに玉ころがしや空気銃、夏向きには鮒釣りなどで、職人肌の兄貴連を引きつけて居るが、弦歌のひゞきぱたりと絶えて二三の曖昧宿に、臨検におびえながら出入りする白い首が闇にうごめくだけではたゞもう淋しさの上塗りをするだけである。
スケツチでなくて何だか懐旧談のやうになつてしまつた。けれども、明治末期に生まれたモダン・ボーイならざる限り、現在の大須をながめては、その昔大須にあふれて居た名古屋情調を顧りみて惜まざるを得ないのである。さうして一たび旧名古屋情調をしのびはじめたならば、今の名古屋で、だんだん勢力を得て来たモダン・カフエーへは、ちよつと、はいる気がなくなるのである。
とはいふものゝ、最近の名古屋を知らうとするものは、数十軒を数ふるカフエーを見のがしてはならない。昼なほ手さぐりを要するやうな暗さの中で、コーヒーか紅茶一杯に,ものゝ三時間|乃至《ないし》五時間も、ウエートレスと饒舌にふける気分は、到底筆
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