果してどんな気持がするだろうかという問題であった。尤《もっと》も、会員の誰もが、自分自身にはそういう経験をしたものがないので単に想像説を述べるに過ぎなかった。
「僕はやっぱり、喜平次のように飛び出して逃げるでしょう」と新聞記者のH君が言った。
「いや、僕は、恥かし乍《なが》ら、腰を抜かしてしまうだろうと思います」と浮世絵研究家のB君が言う。
「わたしなら噛みついてやりますわ」と長唄師匠のS子さんが言った。
「大へんな勢ですねえ」と、四十恰好の医師のM氏が言った。「僕は大ていの男は気絶するだろうと思います」
「まあ」とS子さんは驚いた。「男の方はそんなに弱虫なんですか」と、皮肉な口調を交えて言った。
「気絶とは少々極端過ぎますね」と、H君も反対した。
「それは」と、医師のM氏は真面目な顔をして言った。「S子さんにしろH君にしろ、そういうような事の起る、前後の事情を考えて見られないからです。化物でも幽霊でも、心に怖しいとかやましいとか思って居《お》ればこそ出現するので、そうした心の動揺状態にある者の前に、今のような現象が起ればきっと気絶するにきまって居《お》ります。いや、気絶どころか、時には発狂します」
「でも、発狂とはあんまりのようで御座いますねえ」とS子さん。
「いや本当です」
「それではM先生は何かそういう実例を御存じですか?」とS子さんは抜目なく突こんだ。
「知らないでもありません」と医師のM氏は煙草に火を点じて、意味ありげに、にやにや笑った。そこで、会員たちは、口を揃えて、M氏にそれを話すように迫った。
「では、兎《と》に角《かく》御話致しましょう」
こういって、M氏はお茶を啜《すす》った。
[#7字下げ]二[#「二」は中見出し]
皆さんも御承知のことと思いますが、医師というものは自由な職業のようで可なりに束縛を受けて居るものです。生活難という悩みはどの職業にも共通ですけれど、医師はそれ以外に医師法や刑法の窮屈な条文から起る種々《いろいろ》な悩みがあります。こう言うと、私が法律に反抗して、種々の罪悪を犯したがって居るのかと思いになるかも知れませんが、決してそうではありません。私の言う悩みは刑法と人道との相容れぬときに起るものを言うのであります。一寸《ちょっと》考えるとそんなことはありそうにないようですけれど実際にはあるのです。といっても抽象的な話では御
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