を鼓《こ》して参ります。喜んであなたの腕に抱かれに行きます。そのことを思うと手が震えてなりません。どうか私の心を御察し下さい。両親よりよろしく申上げました。委細は御目にかかって申します。おなつかしきT様。

 と、申し上げたら、あなたはきっと御喜びになるで御座いましょう。然し、残念ながら、今の私には微塵《みじん》もそんな心はないので御座います。思えば結婚式がすむ迄、私もやはり世の常の花嫁の抱くような楽しい夢を胸に描いて居《お》りましたが、その夢は、披露の宴の際、忽然《こつねん》として消えました。御友人の一人……お名前は申し上げません……が、可なりに沢山お酒を召し上り、酩酊のあまり、私の母に向って、あなたが網膜炎で片眼しか見えないと御告げになった時の母の驚きは、何にたとえんすべのない程大きいもので御座いました。私もそれをきいたとき、くやしさに胸がはりさける程で御座いました。片眼しか御見えにならぬという事実よりも、それを隠そうとなさった御心に腹が立ちました。何という恐しい御心で御座いましょう。私たちは御仲人様をも恨みました。無論御仲人様も御承知はなかったのですが、それにしてもあんまりな事だと思いました。本当にこの恨みは一生涯忘れまいと覚悟しました。然し、あの場合、事を荒立てるのはよくないと思い、なお又、御友人の言葉が果して真実かどうかわかりませんので、私はそれをたしかめようと決心して、先ず、両親から御仲人様に、その日の朝から月のものが来たと詐《いつわ》ってあなたに告げてもらい、それから褥《とこ》の上で私はあなたの眼を観察しようと思いましたけれども、用心深いあなたは、眼鏡を御取りにならず、私は私でくやし涙が出て観察どころではありませんでした。全く、外観上は健康な眼と変りのないのが網膜炎の常だということですから、たとい心を落つけて観察しても、素人にわかる筈はありません。でも、私は、あなたの接吻を断然拒みあなたのために、貞操も破られなかったことを誇りと致します。実家に帰っても勿論真偽のほどがわかりませんから、あなた御自身の口から白状して頂こうと思って、先便に差上げたような手紙を書いたので御座います。私自身は網膜炎にかかったことはなく、立派に両眼が見えるので御座います。然し、ああした虚偽の手紙を書かなければ、到底あなたのような卑怯《ひきょう》な人を白状させることは出来ぬと思いま
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