皺が寄り、その落ち窪んだ眼には、私の返答を待つ不安の色が漂って居た。
「だって……」
「いえ、御不審は尤《もっと》もです。私は治りたいと思って、このできものを取って頂くのではありません。私の右の肩に陣取って、半年の間、夜昼私をひどい責め苦にあわせた、にくい畜生に、何とかして復讐がしてやりたいのです。先生の手で、この畜生を、私の身体から切離して頂くだけでも満足です。けれど、出来るなら、自分の手で、思う存分、切りさいなんでやりたいのです。その願いさえ叶えて下さったら、私は安心して死んで行きます。ね、先生、どうぞ御願いします、私の一生の御願いです」
 患者は手を合せて私を拝んだ。辛うじて動かすことの出来た右の手は、左の手の半分ほどに痩せ細って居た。私は患者の衰弱しきった身体を見て、手術どころか、麻酔にも堪え得ないだろうと思った。で、私は思い切って言った。
「かねて話したとおりに、これは肩胛骨《けんこうこつ》から出た肉腫で、肩の骨は勿論、右の手全体切り離さねばならぬ大手術だからねえ。こんなに衰弱して居て、手術最中に若《も》しものことがあるといけない」
 患者は暫らく眼をつぶって考えて居たが、やがて細君の方を見て言った。
「お豊、お前も覚悟しとるだろう。たとい手術中に死んでも、この畜生が切り離されたところをお前が見てくれりゃ、俺は本望だ。なあ、お前からも先生によく御願いしてくれ」
 細君は啜《すす》り泣きを始めた。彼女は手拭で涙を拭き拭き、ただ私に向って御辞儀するだけであった。私は暫らくの間、どう返答してよいかに迷った。治癒の見込のない患者を手術するのは医師としての良心に背くけれど、人間として考えて見れば、この際、潔く患者の願いをきいてやるのが当然ではあるまいか。たといそのままにして置いたところが、一月とは持つまいと思われる容体である。若し、患者が手術に堪えて、怖しい腫物の切り離された姿を見ることが出来たならば、たしかに患者の心は救われるにちがいない。
「よろしい。望みどおり手術をしてあげよう」
 と、私ははっきりした声で言い放った。

       二

「気がついたかね? よかった、よかった。手術は無事に済んだよ。安心したまえ」
 翌日の午前に行われた手術の後、患者が麻酔から醒めたときいて、直《ただ》ちに病室を見舞った私は、白布の中からあらわれた渋紙色の顔に向って慰めるよ
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