の風習により、ある種族が定めた偶像例へば一定の動物とか植物とかは、其種族は之を食《くら》ふことを禁止し、若《も》し之を食したならば其の物は毒となりて、之を食したものに疾病を醸《かも》すなどの迷信も、これに加へることが出来よう。コンゴに住むイーキー民族は現今《げんこん》も「しまうま」の肉は食はぬ。むかしエヂプトに於ては、テベスでは羊を食はず、メンデスでは山羊《やぎ》を食はず、オムポズでは鰐魚《わに》を嫌つた。羅馬人《ローマじん》は啄木鳥《きつつき》の肉を食することを禁じた。エツヂストーン島では殆ど凡《すべ》ての疾病《しつぺい》は、禁ぜられた樹木の実を食べた為に起つたのだと考へられて居る。
二 植物性毒と迷信
原始人類に最も喜ばれた毒物は、何《いづ》れの地方にありても麻酔作用を有するものであつた。日本に於ても既に素盞嗚尊《すさのをのみこと》の時に酒があり、少彦名神《すくなひこのみこと》は造酒の神なりと言はれ、支那に於ても酒を以《もつ》て薬物の始《はじめ》とした。周《しう》の成王《せいわう》の時、倭人《やまとびと》が暢草《やうさう》を献じたと「論衡《ろんかう》」といふ書に見えて居り、この暢草は香ひ草で、祭祀に当り、酒に和して地に注ぐと、気を高遠に達して神を降すの効ありと言はれて居た。印度《インド》にありては梨倶吠陀《リーグヴエダ》(印度古代の経典)の中に、ソーマ神《しん》の伝説がある。ソーマと称する植物の繊維から搾《しぼ》つた液(始めこの植物は婆楼那《バルナ》が天界の岩の上に植ゑて置いたもので、ある時一羽の隼《はやぶさ》が天上から盗んで来たものだと言はれて居る)に牛乳又は大麦の煎汁《せんじふ》を加へ、暫《しばら》く其《そ》の儘《まゝ》にして置くと、醗酵して人を酔はす働《はたらき》を生ずる。病む者が、之《これ》を薬として飲むと、四肢は強壮となり、病は去りて長寿を得ると信ぜられて居る。又一|度《たび》ソーマが腸に沁《し》み渡ると貧者も富者になつた様な気持になり、詩人は超人的の力を獲《え》る。よつて詩人はソーマを人格化して一個の神となし、ソーマ液の供物は火祭と共に梨倶吠陀に現はれた祭儀の重要な部分を占めて居る。ソーマ液の魅力は単に人間に作用するばかりではなくして天上の諸神も之を口にすると、打ち勝ち難い活力と永劫に滅びぬ生命とを得ることが出来、神々の間にはアムリタ(不老の霊薬)の名にてもてはやされ、丁度《ちやうど》希臘《ギリシヤ》神話の中の諸神が生命の培養に用ひたと伝へらるるアムブロジアのやうな役目を演じて居る。
サツフオード氏の報告に依るに、西インド諸国及び南米に住むインド人共は現今も種々の麻酔薬を用ふるのであつて、それはピブタデニア・ペレグリナと称するものから生ずる物質であるといふ。其他《そのた》阿片《あへん》にしろ大麻《だいま》にしろ何れも麻酔作用を有するものであつて、大麻の如《ごと》きは古来印度の僧侶が「定《じやう》」に入るときに用ひたものである。話は少し外《そ》れるが後《のち》に探偵小説を論ずるときに必要であるから「定《じやう》」に入ることに就て茲《ここ》に少しく述べて置かう。
蛇や蛙其の他の動物が所謂《いはゆる》冬眠を行ふことは周知の事実であるが、人類には本来かゝる能力は存在しない。ところがある人々にとりては事実上かゝることが可能である。大覚世尊《たいかくせそん》(釈迦)が年七十二の時、法機|漸《やうや》く熟して法華|爾前《にぜん》に於ける権実《ごんじつ》両教の起尽を明かにするため無量義経《むりやうぎきやう》を説き「四十余年|未顕真実《みけんしんじつ》」と喝破して静かに禅定《ぜんじやう》に入つた話は仏者の間に有名であり、わが弘法大師は現にまだ禅定のうちにありとさへ或る一部の人々に信ぜられて居る。これ等は其の真偽を正すに由《よし》ないが、印度の僧侶は今もなほかかることを行ひ、現に信ずべき記録に載せられてある。ハーレー氏の記載に依ると印度の僧侶が「定」に入るときは先《ま》づ大麻を飲んで麻酔状態となり、その状態の儘《まゝ》で、冷《つめ》たき静かな墓の中に置かれ、六週|乃至《ないし》八週を経過するのである。ブレード氏は一八三七年ある僧侶がラホールにて「定」に入り、六週を経て掘り出された時の状態を記して居るが、それに依ると四肢は固くなり心臓の鼓動さへなかつたといふ。而《しか》も立派に生き還つた。この実験は厳密に行はれ、昼夜交替で墓の上を軍人共が守衛した。其他|独逸《ドイツ》の医師ホーニツヒベルゲルも、印度滞在の際ある僧侶に就て四十日間の「定」を実験した。この僧侶は其名をハリダスといひ、嘗《かつ》て四ケ月間山間の墓の中で「定」に入つたさうで、墓に入る前に髭を剃つたが、四ケ月後墓から出たとき少しも髭は伸びて居なかつたといふ。かやう
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