うに言われた。
「はあ」
「どんな」
そこで僕は、福間警部からきいた一切を物語ったが、一年前ならば、眼を輝かして聞かれたであろうに、而《しか》も自殺か他殺かという鑑定の結果によっては二人の生命が左右されるほどの重大な事件であるのに先生はたゞフン、フンといってうなずかれるだけで、悪くいえば、まるで他事《よそごと》を考えて居られるのではないかと思われるような、味気ない態度であった。僕が語り終ると、
「それで、鑑定の事項は?」
「三ヶ条です。第一は胃腸の内容から、死の起った時間を決定すること。第二は現場及び遺書の血痕が自然のものか、又は人工的に按排《あんばい》された形跡があるか否や、第三はピストルが、どれほどの距離で発射されたかと言うのです」
「その遺書をそこに持って居るかね?」
僕は紙袋に入れられた遺書を取り出して、先生に差出した。それは二つに折られた水色のレター・ペーパーで、外側には数個の血痕が附着し、中側にペンで「或旧友へ送る手記」の最初の一節が書かれてあった。くどいようであるけれども、後の説明のために、その全文を書いて置こう。
[#ここから2字下げ]
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或《あるい》は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであろう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。尤も僕の自殺する動機は特に君に伝えずとも善《よ》い。レニエは彼の短篇の中に或自殺者を描いている。この短篇の主人公は何のために自殺するかを彼自身も知っていない。君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部[#「動機の全部」に傍点]ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。自殺者は大抵レニエの描いたように何の為に自殺するかを知らないであろう。それは我々の行為するように複雑な動機を含んでいる。が、少くとも僕の場合は唯《たゞ》ぼんやりした不安である。君は或は僕の言葉を信用することは出来ないであろう。しかし十年間の僕の経験は僕に近い人々の僕に近い境遇にいない限り、僕の言葉は風の中の歌のように消えることを教えている。従って僕は君を咎《とが》めない。……
[#ここで字下げ終わり]
先生はそれでも、この文句の全部に眼をとおされたのだった。そうして読み終ってから、
「この筆蹟は本人に間ちがいないのかね?」
と、たずねられた。
「それは間違いないそうです」
言う迄もなく先生は筆蹟鑑定のオーソリチーだ。以前の先生ならば、こうした変った遺書はきっと興味をひくにちがいないのだが、
「そうか」と答えられたゞけであった。そうして、僕に紙片を返しながら、
「それでは、涌井《わくい》君、君にこの事件の鑑定をしてもらうことにしよう」と、言い放って、再び雑誌の方を向いてしまわれた。
あとでわかったことだが、毛利先生がその雑誌の方へ心を引かれて居られたのも無理はないのだった。其処《そこ》には、先般学会で先生が大討論をなさった狩尾博士の論文が掲載されて居たからである。ここで序《ついで》に、僕は毛利先生と狩尾博士との関係を述べて置こう。この二人が日本精神病学界の双璧だったことはすでに述べたが、毛利先生を堂上《どうじょう》の人にたとえるならば、狩尾博士は野人であった。すでにその学歴からが、毛利教授は大学出であるのに、狩尾博士は済生学舎《さいせいがくしゃ》を出てすぐ英国に渡って苦学した人だった。そうして狩尾博士はS区に広大な脳病院を経営し、しかも、どし/\新研究を発表した。その風采も毛利先生は謹厳であったのに、狩尾博士は禿頭《とくとう》で、どことなく茶目気があった。
更にその学説に至っては全然相反の立場にあった。毛利先生はドイツ派を受ついで居られたのに、狩尾博士はイギリス、フランス派を受ついで居た。もとより晩年には二人とも、外国にも匹儔《ひっちゅう》を見ないほどのユニックな学者となって居て、毛利先生は、先生の所謂《いわゆる》「脳質学派」を代表し、狩尾博士は博士の所謂「体液学派」を代表して居た。脳質学派とは人間の精神状態を脳質によって説明するのに反し、体液学派は、体液ことに内分泌液によって説明するのである。
狩尾博士の体液学派は、内分泌派又は体質派ともよばれるのであって、狩尾博士の主張するところによれば、すべての精神異常は体質によって定《き》まるものであって、而《しか》も体質なるものは目下のところ人力で之《これ》を如何《いかん》ともすることが出来ない。例えば殺人者たる体質を有するものは、必ずある時期の間に殺人を行う。故にその時期に入ったことを観察することが出来たならば、僅かの暗示的刺戟によっても殺人を行わせることが出来るというのである。即ち、一見精神健全と思われる人にも、体質の如何によって恐ろしい犯罪を敢《あえ》てせしめ得るのだというのであって、その刺戟を狩尾博士は、これまでの suggestion と混同されないように incendiarism と名づけたのである。
この説に対して毛利先生は、精神異常は脳質に変化が起ってはじめてあらわれるのであって、脳質に変化の起らない限り、即ち、精神病的徴候のあらわれない限り、暗示によって殺人を行わせるごときは絶対に出来ぬと主張されたのである。先般の学会でもこの点について激論があった。実をいうとその時毛利先生の旗色が幾分か悪かった。すると、狩尾博士は、
「毛利君|如何《いかゞ》です?」と、いかにも皮肉な口調で、幾度も先生に迫ったものだ。けれども、人間に直接実験して見せて貰わないうちは、先生も兜《かぶと》をぬぐことが出来ない。で、結局はやはり、そのまゝになって討論はやんだが、その時の狩尾博士の演説が、雑誌に載って居たので、毛利先生は、鑑定の方よりも、それに余計に気をとられて居《お》られたわけである。
K君。
このようにして、北沢事件の再鑑定は僕が引受けることゝなった。僕等の教室では、たとい鑑定の事項が局所的のものでも、必ず全身を精密に解剖することになって居るので、その日直ちに注意深く解剖を行った。その結果、北沢栄二という人は胸腺淋巴《きょうせんりんぱ》体質であることを知った。即ち自殺者に殆んど常に見られる体質だ。それから頭部の銃創と骨折の関係をしらべ、胃腸の内容をしらべたが、その結果、ピストルは右の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》から約五センチメートルほど離れたところから発射され、死の時間は昼食後一時間乃至二時間後であることをたしかめた。それから僕は北沢家に出張して現場《げんじょう》の模様をしらべ、なお、遺書の上の血痕を検《しら》べたが、人工的に按排《あんばい》された形跡は一つも発見することが出来なかった。
このうち胃腸の内容検査は、色々の面白い事実を教えてくれた。無論それは事件とは関係のないもので、消化生理の上から見て興味あることだが、とてもその委《くわ》しいことは今書いて居れぬから、他日教室へ来て鑑定書を見てくれたまえ。いずれにしても、僕の鑑定の結果では、他殺と見るべき根拠は何一つ発見されなかったのである。
あくる日、僕は、毛利先生の部屋をたずねて、解剖の結果その他を逐一報告した。さすがにその時は、熱心に聞いて下さったが、僕の報告を終るなり、先生は、
「それじゃ、自殺と考えても差支《さしつかえ》ないね。若しそれが他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と、言われた。
ところがK君。その奇蹟であることが、皮肉にも、それから一時間の後に起ったのだった。といっては少し言い方が変だが、実は、福間警部がたずねて来て、容疑者の緑川順が、北沢を殺したことを自白したから、毛利先生に警視庁へ来て、緑川を訊問して、その精神鑑定をしてほしいと頼みに来たからである。
これをきいた毛利先生の態度は急に一変した。先生はその瞬間に以前の毛利先生となられたのである。「他殺だったら、たしかに奇蹟だ」と断定されたほど、他殺説の割りこむ余地のない事情のところへ、他殺を自白したのだから、毛利先生は急に興味をもってみずから、取調べて見ようという気になられたにちがいない。
「福間君。緑川の自白したことを、まだ北沢未亡人には告げないだろうね」
「告げません」
「よし、それではこれからすぐ出かけよう」
僕等三人はやがて警視庁へ自動車をとばせた。自動車の中で毛利先生は、福間警部に向って、緑川の自白の趣《おもむき》をたずねられた。警部の話したところによると、かねて彼は北沢夫人と恋愛関係をもって居たが、北沢夫人から、北沢がピストルを買ったこと、冗談半分に文学者A氏の遺書の一節をうつして持って居ることをきゝ、自分も同じピストルを買って、夫人に内証に北沢を亡きものにしようと決心し、その日、夫人が買物に出かけた後、ひそかにしのびこんで書斎へ行くと、北沢は椅子に腰かけて食後の微睡《びすい》をして居たので、これ幸いと、うしろにしのび寄り、自分のピストルで射殺し、たおれるのを見すまして、手にそのピストルを握らせ、それから机の抽斗から、北沢のピストルと遺書を取り出し、ピストルはポケットに入れ、遺書は机の上に置いて、再びしのび出たというのであった。
「緑川はどこに住《すま》って居るのかね?」と、毛利先生は警部の説明をきゝ終ってたずねられた。
「北沢家から、四五町へだたったところに小さな文化住宅をかまえ、一人で住んで居るのです」
警視庁へ着くなり、毛利先生と僕とは一室にはいって、緑川の連れられてくるのを待った。
やがて福間警部につれられてはいって来たのは二十四五の、顔の長い、髪の毛の房々とした青年だった。毛利先生は何思ったか福間警部を別室に退《しりぞ》かせて、緑川に犯行の模様を語らせた。それは、福間警部が自動車の中で告げたことゝ少しも変らなかった。
「それでは、この机の前で、その時の北沢さんの模様をやって見せて下さい」
と、毛利先生は立ち上って、自分の腰かけて居た椅子を緑川に与え、室の隅にあった薄縁《うすべり》をもって来て床に敷かれた。
緑川はおそる/\椅子に腰かけた。
「さあ、眼をつぶって微睡して居る様子をして下さい。僕がその時のあなたの役をつとめます。よろしいか。そら、ドンとピストルを打った。そこで北沢さんはどうしましたか」
「何しろ興奮して居たから、こまかい動作はよく覚えて居りません。たしか、こういう風に立ち上ったと思います。それから、たしか身体を、こう捩《ね》じて、下へたおれ、こう言う風に横《よこた》わりました」
こう言って一々その動作を示した。
「宜《よろ》しい。恐入りますが、もう一度やって見て下さいませんか」
更に再び実験が行われた。
「横わった時の姿はそれに変りはありませんか」
「それはたしかに記憶して居ります」
「よろしゅう御座います。元の部屋へお帰り下さい」
こう言って先生は福間警部をよんで緑川を連れ去らせた。
「涌井君。君は昨日北沢家へ調べに行った時、福間警部に北沢がどんな風に死んだかを演《や》って見せたね」
「はあ」
「そうだろうと思った」
やがて福間警部が戻って来ると、
「福間君。白状というものは、こちらから教えてさすべきものでないよ。むこうの言うことを黙ってきけばいゝのだ」
「緑川が何か言いましたか」
「いま緑川に実演させたら、君が教えたとおりにやったゞけで本当のことをやらなかったよ。あんな飛び上り方なんて、まったく嘘だ。たゞ、横わってからは本式だった。本人も、飛び上ってから、身体を捩じてたおれるまでは、どうも興奮してよく覚えて居りませんと言いながら、横わった姿だけはっきり覚えて居るんだ。緑川の自白は虚偽だよ」
「それでは何故そんな虚偽の自白をしたのでしょう」
「それは、あとでわかるよ。未亡人をつれて来てくれたまえ」
間もなく黒い洋装の喪服を着た北沢未亡人が連れられて来た。眼の縁が際立って黒かったので、一層チャーミングに見
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