れ、助手の手にあまるような問題には決して労力を惜まれなかったが、どう観察しなおしても、以前ほどの熱はなく、教室でぼんやり時を過されることが度々であった。後進を引き立てるために、わざと手をつけることを差控えるようにせられたのかとも思って見たけれど、決してそうばかりではなかった。というのは、先生の顔にだん/\憂鬱の影がさして来たからである。
僕ははじめ先生の憂鬱の原因を、何か先生に、世間普通の心のなやみが生じたためではないかと考えたよ。甚《はなは》だ失礼ながら、独身の先生のことだから、恋愛問題にでも直面されたのではないかと思って見た。もちろん今はその邪推を後悔して居るが、とに角、一時はそうとでも考えるより他はなかったのだ。ところが、だん/\観察を深めて行くと、それが全部ではないけれど、一種の倦怠とも見るべき状態だとわかったのだ。どうもこの倦怠という言葉は甚だ坐りが悪いけれど、他によい言葉がないから、致し方なく使用するのだが、いわば、精神活動の一種の弛緩《しかん》状態を意味するのだ。
生理学を専攻する君に、こんなことを言うのは僭越だが、心臓の血圧の曲線を観察すると、かのトラウベ・ヘーリン
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