せねばならない。して見ると毫《すこし》も精神異常の徴候はあらわれて居らなかったのであって、そのような時機にはたとい暗示を与えても自殺をせぬというのが僕の説なのだ。ところがそれを狩尾君は人間実験で破ったのだ。そうして、それを僕にさとらしめるために、遺書と投書の計画をたてたのだ。
「未亡人の話によると、北沢はM――クラブへよく行ったということであるが、ロンドンを第二の故郷とする狩尾君がそのメムバーであることは推定するに難くない。恐らく狩尾君はそこで自分にとってもあかの他人である北沢を観察し、催眠状態のもとにA氏の手記をディクテートし、なお投書の文句を書かせて、それだけは自分で保存して置いたのであろう。ピストルを買わせたのも狩尾君かも知れぬ。そうして、みごとに自説を証明し、併せてそれを僕に示そうとする目的を達したのだ。勿論、その遺書や投書やピストルが、incendiarism の役をつとめたことはいう迄もなく、北沢事件そのものは、実に天才的科学者の行った人間実験に外ならぬのだ」
 こゝまで語って先生は、ほッと一息つかれた。僕は先生の推理のあざやかさに、いわば陶然として耳を傾けて居たが、最後の
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