て、それから一日か二日、時には一週間、或《あるい》は一ヶ月、いや、どうかすると一年もかゝって適当なチャンスを見つけ、最も小気味よい方法で復讐を遂げるのが常でした。これから御話《おはな》しするのもその一例であります。
 T医学専門学校を卒業すると、私はすぐ眼科教室にはいりました。学校を卒業しても、相も変らぬ「のろま」でしたから性急《せっかち》な主任のS教諭は、私の遣り方を見て、他の助手や看護婦の前をも憚からず Stumpf《スツンプ》, Dumm《ドウンム》, Faul《ファウル》 などと私を罵りました。いずれも「鈍い」とか「馬鹿」とか「どじ」とかを意味する独逸《ドイツ》語の形容詞なんです。私は心に復讐を期し乍《なが》らも、例のごとく唯々黙々《いゝもく/\》として働きましたので、後にはS教諭は私を叱ることに一種の興味を覚えたらしく、日に日に猛烈にこれ等《ら》の言葉を浴せかけました。然《しか》し、教諭Sは責任感の極《きわ》めて強い人で、助手の失敗は自分が責任を持たねばならぬと常に語って居《い》たほどですから、私を罵り乍《なが》らも、一方に於て私を指導することをおろそかにしませんでした。従って私の腕も相当進歩はしましたが、私の動作は依然として緩慢でしたから、教諭の嘲罵《ちょうば》はます/\その度を増して行きました。
 S教諭の私に対するこの態度は、自然他の助手連中や看護婦にも伝染して、彼等も私を「痴人」扱いにしてしまいました。後には入院患者までが私を馬鹿にしました。私はやはり、黙々《もく/\》として、心の中で「今に見ろ」という覚悟で暮しましたが、復讐すべき人間があまりに多くなってしまいには誰を槍玉にあげてよいか迷うようになりました。それ故私は、なるべく早くチャンスを見つけて最も激烈な手段で、凡《すべ》ての敵に対する復讐心を一時に満足せしむるような計画を建てるべく心がけるに至りました。
 そうしたところへ、ある日一人の若い女患者が入院しました。彼女は某劇場の女優で、非常にヒステリックな面長の美人でした。半年程前から右の顔面が痛み、時々、悪心嘔吐《おしんおうど》に悩んだが、最近に至って右眼の視力が劣え、ことに二三日前から、右眼が激烈に痛み出して、同時に急に視力が減退したので外来診察所を訪ねたのでした。そこで「緑内障」の疑《うたがい》ありとして、入院治療を勧められ私がその受持と
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