まれて行きます。その世界には恐怖というものがありません。それは時間と空間とを超越した快楽の園です。
ふと、気がついて見ると、私の耳のそばで虻のうなるような音が聞えました。はてなと思って耳を澄ますと、シュー、シューという水の迸《ほとばし》るような音がします。私は妻と共に、××公園を散歩して、滝の音を聞きつつ、秋の太陽に思う存分浴して居るのかと思いましたが、よく考えて見ると、私は寝床に居《お》ります。これはと思って傍《かたわら》を見るとモーターが頻りに廻り、陰圧発生機と酸素供給器とが活動して居《お》ります。
人工心臓! そうだ、自分は人工心臓を装置して貰ったのだ。人工心臓の快さ! 恐怖を知らぬ人工心臓! 人工心臓こそは病気に対する恐怖心を完全に除くものだ! 人工心臓こそは人をして楽園に遊ばしめるものだ! 何という平安な世界であろう!
はっと思った途端、けたたましい咳嗽と共に又もや咯血が始まりました。楽園は急転して地獄の底と変りました。人工心臓のモーターと錯覚したのは、咯血によって生ずる腹《むね》の鳴り音に過ぎなかったのです。その鳴り音をモルヒネの作用によって、人工心臓から生じた安楽の
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