。然しよく考えて見るに、若し神様が、私たちの身体を御造りになったとしたらば、やれ筋肉説だの、やれ神経説だのと騒いで居ることは、神様の眼には、電気説を空想した私の眼に映じたよりも、もっと滑稽なものに映ずるかも知れません。いずれにしても私は、色々な学説を頭の中に詰め込むことの煩雑さに堪《た》えかねて、大学を卒業したならば、一日も早く人工心臓の発明を完成したいと思いました。
四
三年級になって臨床学科の講義を聴き、直接患者を取り扱うに及んで、私はつくづく現代医学の力無さを痛感すると同時に、私たちの学ぶ医学なるものは、畢竟学説の集積に過ぎぬのであって、実用とはよほどかけ離れて居るものだということを発見しました。学説が右なり左なりへはっきりと片がついて居れば、それに従って治療もはっきり行い得《う》る筈ですけれど、何分学説が論争の中途にあるのですから、治療も当然半端ならざるを得ません。数多い病気のうち、薬剤を以《もっ》て特効的に治療し得《う》るものは片手の指を屈し尽すに至らぬほどの少数で、その他は、ただ、いわば気休めに薬剤を与えて自然に治療するのを待つに過ぎません。そうして、い
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