走ったものです。
 ことに私をして人工心臓をあこがれしめたものは、心臓に関する極めて煩瑣《はんさ》な学説です。微《び》に入り細《さい》に亘《わた》るのは学術の本義ですけれども、学生時代に色々な学説を聞かされるということは可《か》なり厄介に感ずるものです。学説の論争をきくということは、たまには甚《はなは》だ面白いですけれども、幾つか重なって来るとたまりません。生理学などというものは、むしろ学説《がくじゅつ》の集合体といってもよいもので、そういう学説を減すことは、生理学を修得するものの為にもなり、ひいては人生を簡単化《シムプライズ》することが出来るだろうと私は考えました。
 御承知かも知れませんが、心臓運動の起原については二つの説があります。一つは筋肉説と唱えて、心臓は心臓を形づくる筋肉の興奮によって動くという説、今一つは、その筋肉の内へはいって来て居る神経の興奮によって動くという説があります。心臓は、之を体外に切り出しても、適当な方法を講ずれば、平気で動いて居《お》りますから、心臓を動かす力が心臓自身から発するものであるということに疑いはありませんが、さて、その力が筋肉から発するか、その
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