がつかぬに過ぎないのだと考えました。
御承知の通り、人体の最も肝要な組織を構成して居る化学的物質は蛋白《たんぱく》質です。この蛋白質は窒素を中心とした化合物ですから、窒素化合物は人体に取っては一日も無くてはならぬものです。通常私たちは食物によってこの窒素化合物を取り入れて居《お》りますが、かくの如く、化合物となった窒素が人体に欠くべからざるものであり乍ら、気体の形をして居る窒素が人体によって少しも利用されぬということは神様も甚だしい手ぬかりをしたものだと私は考えたのです。そうしてそれと同時に、これは決して神様の手ぬかりではない、神様は、ちゃんと、遊離《ゆうり》窒素をも利用することが出来るように拵《こし》らえて置いて下さったのであるけれども、人間はただそれに気がつかぬだけだ、と私は解釈するに至ったのです。いや、神様などという言葉はあなたに御気に入らぬかも知れませんが、造物主《ぞうぶつしゅ》とか何とか言うより、早わかりがすると思いますから、まあ我慢して聞いて下さい。
さて然らば、神様は、人体の如何なる機関に遊離窒素を利用する作用を授けて置いて下さったでしょうか。それはいう迄もなく、窒素が絶えず出入りする肺臓でなくてはなりません。皮膚が所謂皮膚呼吸と称して、酸素の利用を営む如く、窒素の利用も或は幾分か皮膚によって営まれて居るかも知れませんが、酸素利用が主として肺臓で行われて居るごとく、窒素利用もやはり主として肺臓で行われるべきものだと私は考えたのであります。
あなたは地中に居るバクテリアの一種が、空気中の窒素を固定する作用、即ち、遊離窒素を窒素化合物に変化させる力を持って居ることを御承知でありますか。バクテリアのような最も下等な生物にさえ、そういう霊妙な力を与えられて居るのに、まして最も高等な動物である人間の細胞に、そういう霊妙な力が与えられて居ない筈は無いではありませんか。で、私は、肺臓の細胞にこそは、地中のバクテリアのように、窒素を固定する作用が附与されてあるものと推定したのです。
ところが肺臓の細胞には瓦斯交換という大役があるために、窒素固定の方には自然手が及ばぬにちがいありません。又、人体の生存に必要な窒素化合物は、食物によって補給されて居《お》りますから、あながち肺細胞が働く必要はありません。ところが今、仮りに食物の摂取を中止して所謂飢餓の状態に入《い》
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