来てから、糸子をどうして連れだそうかと色々事情をさぐると、山本信義が糸子の首飾りを盗んで君に発見され、それがために職を失い、爾来《じらい》、糸子にも、うらみをいだいていることが分かったのだ。
この山本という男は名前は信義《しんぎ》だが、いたって不思議な男であるばかりか、よく検《しら》べると窃盗犯の前科のあるものなのだ。山本信義というのも実は偽名なのだ。で、誘拐団の連中は山本を仲間にすれば、糸子を誘拐するに非常に好都合だと思い、山本のありかを発見して、そのことを話すと、山本は一も二もなく悪人たちの仲間入りをしたのだ。
さて、それから、糸子を誘拐する方法を色々研究していると、糸子が伊豆山《いずさん》温泉へ出かけたので、この機を逸すべからずと、誘拐の計画を定めたのだ。
その計画はどういうのかというに、まず糸子を誘拐するためには糸子の替え玉をつくらねばならない。幸いに一味のものの中には女もいるから、それを替え玉にしようとして、糸子のよく行く春日町の美容院へ研究に行かせたのだ。そのとき山本はその女の案内をしたのだが、むろん中へは入らず、あたりをうろついて、待っていたのだ。
さて、その女が、糸子の風姿やその他のことを近藤方で研究してくると、いよいよ、糸子に仕立てて伊豆の国に行かせ、糸子が熱海へ散歩に出たときを選んで、海岸で捕らえて、すぐさま船の中へうつし、その船の中で、無理にゲルセミウムを注射して仮死に陥れたのだ。そうして、糸子の替え玉が相州屋《そうしゅうや》へ帰り、その翌日から気分が悪いといって、そのまま床《とこ》についたのだ。つまり替え玉を発見されない手段だったのだ。
さて、一方、仮死に陥った糸子を悪漢たちはそのまま連れ帰ればよかったのであるが、彼らには妙な迷信があって、一旦その仮死の身体《からだ》を警察の目に触れさせれば、途中で逮捕されることなく目的を達することができると信じているので、仮死体を春日町の空家へ持ってきて、僕たちに見せる計画をしたのだ。
そのため、君が事件に加わってきて、とうとう彼らの計画は微塵《みじん》に砕かれてしまったのだ。
誘拐団は糸子の替え玉が帰りしだい出発しようとしたのだが、ちょうど、いざ出かけようとするとき警察の手が入ったのだ。
川上糸子は、あのままずっと仮死の状態になっていたよ。彼らは、彼女の身体《からだ》を手頃なトランクの中へ入れて、東京まで運んだりまた持ちかえったりしたのだが、化学の記号を暗号に使ったり、ゲルセミウムを使用したりするくせに迷信的なことをやるというのは、実に犯罪者というものの特徴を示していると思うよ。
それはとにかく、君のおかげで、川上糸子が無事に帰り、誘拐団が逮捕せられたことは、実に喜ばしいことと思う……」
皆さん、これで、この事件は解決されました。このことは、新聞にも出ないですみましたから、川上糸子がそういう恐ろしい目にあったことを、世間一般の人はちょっとも知らないのであります。ただこの事件で、俊夫君にもはっきり分からなかったのは、なぜ、彼らが糸子の仮死体を警察に見せにきたか、
「まさか迷信のためとは気がつかなかった」
と俊夫君も笑って申しました。
底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「子供の科学 六巻一〜五号」
1928(昭和3)年1〜5月号
入力:川山隆
校正:小林繁雄
2005年11月23日作成
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