飾りを盗まれて、俊夫君に捜索を依頼し、俊夫君は犯人を明るみへ出すことなしに、首飾りだけを取りかえしてやったからであります。川上糸子の名は東京じゅうの人は誰でも知っております。だから、電話をかけた男が、そう言ったのは当然のことです。
小田さんは頷《うなず》きながら続けました。
「ざっと調べたところによると、川上糸子はどうやら毒殺されたものらしい。そうして多分、他所《よそ》で殺されて、空家の中へ運ばれたものらしい。が、それよりも、奇怪なことは、仰向けに横たわった胸の上に一枚の名刺が置いてあったことだよ。
その名刺に印刷された名を僕は知らぬが、ただその名刺の上の右の隅に『進呈』という文字が書かれた左の上の隅に何と君、『塚原俊夫君』と書かれてあるではないか」
私たちはまたもや顔を見合わせました。
「つまり、川上糸子の死骸を君に進呈するという意味なのだ。そこで僕は、少なくとも、この事件は君に多少の関係を持っているだろうと考えて、電話で総監の許可を得て一切の捜査を君に依頼することにした。君もそれには異議はないだろう」
俊夫君は嬉しそうに頷《うなず》きました。
「どうも有り難うございました。全力をつくしてやります。で、その名刺をお持ちでしたら見せてください」
こう言って俊夫君はふるえる手を差しだしました。
第二回
一
小田刑事はポケットの中に手をさしこんで一枚の紙片を取りだし、俊夫君に向かって言いました。
「これが、女優川上糸子の死骸の上に、俊夫君に進呈と書いてあった名刺だよ」
こう言って、小田刑事はその紙片を裏がえして見ましたが、たちまち、
「おやッ!」
と叫びました。それもそのはずです。名刺の裏も表も真っ白で、何にも書いてはなかったからです。
「おかしいぞ!」
言いながら、小田刑事は、さらにポケットの中に手を入れてしきりに捜しましたが、求めるものはありませんでした。
「Pのおじさん」
と、俊夫君は叫びました。
「やっぱり、それが死骸の上にあった名刺だったのでしょう。ちょっと見せてください」
こう言って、俊夫君は、その名刺|様《よう》の白紙を受け取りました。
「これは隠顕《いんけん》インキで書いたものに違いありません。あなたがご覧になった時は、たしかに文字が書かれていて、それが一定の時間を経て消えたのです。ちょっと待っていてください」
呆気《あっけ》にとられた小田刑事を残して、俊夫君は、その紙片をもって次の部屋へ行き、何やらしきりにやっておりましたが、やがて出てきて、小田刑事に渡した紙片の上には、「頭蓋骨」の絵が、赤い色の線で書かれてありました。
「今、ある薬品をかけてあぶりだしたら、こんな絵があらわれたのです。これについて何か心当たりがありませんか」
俊夫君が、こう言い終わらないうちに、小田刑事の顔色は変わりました。
「やっぱり、あいつらの仕業《しわざ》か」
と、小田刑事は吐きだすように言いました。
「え?」
と、俊夫君は、小田刑事の顔を、つよく見つめました。
「実はねえ、俊夫君」
と、小田刑事はいくぶん声をひくめました。
「まだ世間にはむろん知られていないが、この十日ばかり前に、上海《シャンハイ》に根城をもっているある誘拐団が東京へ入りこんだ形跡があるから、注意しろという内報が、警視庁へきたのだよ。その団体のマークがこの赤い線で書いた頭蓋骨で、彼らは内地の女を誘拐しては、不思議な方法で上海《シャンハイ》へ連れてゆくのだ。
その団体は主として内地の人間から成りたっているらしいが、支那人などをも手先に使い、のみならず、思いもよらぬところに連絡をつけて、実にたくみに犯罪を行っているらしい。この名刺が、川上糸子の死骸の上に置いてあったのを見ると、彼女はおそらく誘拐されるのを拒んで、そのために殺されたのかもしれん。いや、何にしても、えらい事件が起こったものだ」
俊夫君はじっと、その話を聞いておりましたが、何思ったかとつぜん尋ねました。
「川上糸子の死骸は今どこにありますか」
「君に現場を見せるつもりで、春日町一丁目の空家にそのまま置いてあるよ」
「誰か番をしておりますか」
「部下の刑事が二人番をしている」
「あなたが役所に引きあげられたのは何時頃でしたか」
「四時頃だったと思う」
「それから今まで、ずっと刑事さんたちが番をしているのですね?」
「そうだ」
「そりゃ、愚図愚図しておれません」
「なぜ?」
それには答えないで俊夫君は私に向かって言いました。
「兄さん、すぐ自動車を呼んでくれ。そうして出かける準備をしてくれ」
私は電話をかけてタクシーを呼びました。それから私たちは、例のごとく出発の用意をしました。
ほどなく自動車がきましたので、三人はそれに乗って、早朝の街を走り過ぎました
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