、その有名な人を殺した犯人だよ。分かったかい。だから、この俺を捕まえれば、君は世界一の名探偵になれるということだ。だが、おそらく、君の腕じゃ俺を捕まえることはむずかしかろう」
「何?」
「まあ、そのように憤慨するなよ。もう四五時間のうちに、君のところへ、その殺人事件の報告が行くよ。そうしたら、この俺を一生懸命に捜しにかかるんだよ。分かったかい、しっかりやれよ。じゃ、さようなら」
こう言って、先方の男は電話を切ってしまいました。
二
俊夫君は、このからかい半分の電話をも、真面目に解釈して、すぐさま、中央局に電話をかけ、今の電話がどこからかかってきたかを尋ねました。するとそれは、「小石川、八八二九」だと分かりましたので、すぐさま、その番号を呼びだしました。
が、どうしても通じませんでした。
そこで、今度は、その番号の持ち主が誰であるかを検《しら》べました。すると、それは小石川区春日町二丁目の「近藤つね」という美容術師であることが分かりました。
「とにかく、根気よく呼びだしてみよう」
こう言って俊夫君は、約五分おきに呼びだしました。そうしておよそ二時間を経た午前三時十分頃、やっと、こちらの呼びだしに応じました。電話口へ出たのは女です。
「もしもし近藤さんですか」
と、俊夫君は言いました。
「今から二時間ほど前に、あなたの方から、こちらへ電話がかかりましたが、あなたのところに何か事件がありましたか」
こう言ってさらに俊夫君は、こちらの住所姓名などを詳しく語り、先刻そちらから、男の人がこれこれという電話をかけたが本当であるかどうかを尋ねました。
すると、先方の女の返答は意外でした。その返答の要点はこうなのです。
電話口へ出た女は近藤つねその人であるが、今晩一時少し前に、覆面の盗賊が裏口の戸をこじあけて入ってきたので、女弟子とともに悲鳴をあげて逃げだそうとすると、盗賊のために、二人とも苦もなく捩《ね》じふせられて、麻酔剤を嗅がされ、そのまま人事不省《じんじふせい》に陥ったが、やっと今、電話のベルで眼がさめたところだというのでした。
「もし、こちらから、あなたの方へ電話をかけた男があるとすると、その盗賊でなかったかと思います。こちらには、人殺しも何もございません[#「ございません」は底本では「ごさいません」]。女弟子は、まだ、麻酔剤のために、すうすう眠っております」
言う声が多少苦しそうだったので、俊夫君は、もし何か紛失したものがあれば、警察へ届け出るよう注意して、電話を切りました。
「兄さん、もう寝ようよ」
とつぜん、俊夫君がこう叫びました。
「こういう時は、考えていたとて無駄だ。それよりも事件の発展するのを待とうよ」
「では、君は事件が発展すると思うのか。あるいは単なる悪戯《いたずら》ではないだろうか」
「人殺し云々は嘘かもしれぬが、近藤という家《うち》へ覆面の盗賊の入ったのは事実らしい。それを取り調べるだけでも面白いのだ」
こう言って、俊夫君はさっさとベッドの中へもぐり込みました。そうしてすぐ寝入りました。しかし私は、なかなか寝つかれませんでした。
果たして東京中の人が誰でも知っている有名な人が殺されたのであろうか。もしそうとすると、それは誰であろうか。また、何のために犯人は電話をかけてよこしたのであろうか。などと色々のことを先から先へ考えてゆくと、眼は冴《さ》えるばかりでした。
そのうち、うとうととしたかと思うと、来訪者を告げるベルの音に、はッとして私は飛び起きました。俊夫君も同じく飛び起きました。もう夜はすっかりあけておりました。
来訪者というのは、俊夫君が、「Pのおじさん」と呼ぶ、警視庁の小田刑事でした。私たちは思わず顔を見合わせました。
「Pのおじさん!」
と俊夫君は、小田刑事が席に着くなり言いました。
「小石川区春日町の殺人事件で来てくださったでしょう?」
「え? どうして君は知っている? では、君の方へも通知があったか?」
と、小田刑事は驚いて言いました。
「別に通知というほどのことではないのですが、ちょっと、変なことがありました。それはあとでお話ししますから、まず、用件を聞かせてください」
小田刑事は語りました。
「ゆうべ、僕は宿直だったが、二時頃に電話がかかって、春日町一丁目の空家に人が殺されているから、すぐ出張してくれというのだよ。そのまま先方は電話を切ってしまったので、たとい悪戯《いたずら》であるとしても、捨ててはおけぬので、二人の部下をつれて、行ってみると果たして空家があり、中へ入ると、やっぱり本当だったよ」
「殺されたのは誰です?」
「殺されたのは、T劇場の女優川上糸子さ」
「ええッ、川上糸子が?」
俊夫君の驚いたのも無理はありません。川上糸子はかつて高価な首
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング