糸子はどんな服装をしておりましたか」
「洋装で、毛皮の外套《がいとう》を着ていたよ」
「川上糸子だというたしかな証拠がありましたか」
「そりゃ、もう一目ですぐ分かった」
他の二人の刑事も、彼らの前に横たわっていたのは、たしかに川上糸子に違いないと言葉を添えた。
「それではこのお二人に、川上糸子の昨夜《ゆうべ》からの行動を探ってもらってくださいませんか」
小田刑事は、二人の刑事に意を含めて立ちさらせました。
「俊夫君、一体この事件をどう思う?」
やがて私たち三人になると、小田刑事は、こう尋ねました。
「どう思うって、まだ何とも分かりませんよ。事によると、川上糸子は、本当に死んだのではなく、仮死に陥っただけかもしれません。しかし、それは僕の想像にすぎません」
「これから君は、どういう風に捜索の歩をすすめてゆくのか」
「まず、美容術師の近藤つね方を訪ねようと思います」
「その間に、犯人たちは高飛びしやしないだろうか」
「大丈夫です。もし川上糸子が本当に死んでいたならば、死骸を捨てて逃げないとも限りませんが、仮死に陥ったものとすると、正気に復するのを待って連れて逃げるでしょうし、逃げるにはなるべく目立たぬ工夫をするでしょうから、けっしてその方の手配りを急ぐ必要はありません。それよりも美容術師を訪ねた方がきっと効果があると思います」
こう言って俊夫君は、私たち二人を促し、春日町二丁目に向かって進みました。
第三回
一
春日町一丁目の空家を出た三人――小田刑事と俊夫君と私――は、間もなく、二丁目の美容術師近藤つね方を訪ねました。
「近藤美容院」とガラスに金文字を浮かせたドアを開けて私たちを出迎えたのは、主人の近藤つね女史でありました。さすがに美容術師であるだけに、非常に美しい容貌で、まだ三十歳になるかならぬのように見えました。ただ、その頬に血の気の失せているのは昨夜《ゆうべ》の事件のためであると想像されました。
俊夫君が簡単に来意をつげると、女史はすぐ私たちを、綺麗な待合室へ案内してくれました。
それから、私たちは、あついお茶の御馳走になりました。俊夫君が午前三時十分頃に電話をかけたときに、まだ麻酔剤のために人事不省《じんじふせい》だった女弟子も、もうこの時には普通の人になって、お菓子などを運んで出ました。けれども私たちは、もとよりゆっくり腰を落ちつけているわけにはゆきません。で、俊夫君はすぐさま用件にかかって、ゆうべ盗賊の入った顛末を尋ねました。
近藤女史と女弟子とが交々《こもごも》語ったところは、電話で俊夫君が聞いたこと以上にこれという注意すべき点もありませんでした。何しろ恐ろしさが先に立って、しかもすぐ麻酔剤を嗅がされたために、盗賊が一人だったか二人だったかさえ記憶しないということでした。いわんや盗賊は覆面していたので、その人相などはさっぱり分からなかったのです。
「何か盗まれはしませんでしたか」
と、俊夫君は尋ねました。
「いいえ、別に何も盗まれはしなかったようでございます。あなたからお電話をいただいたので、方々を検《しら》べましたが、何も失っておりません。それどころか、盗賊は小さなガラス罎《びん》を落としてゆきました」
「え? ガラス罎?」
と、俊夫君は熱心に聞きかえしました。
近藤女史は女弟子に告げて、それを取りにやりました。やがて女弟子は一個の小さな緑色ガラスの罎《びん》をもってきて、俊夫君に渡しました。
俊夫君は、その罎をすかして見ました。中には一滴か二滴の液体が残っているだけでした。それから俊夫君は罎の表面に貼ってあるレッテルの文字を見ました。それは印刷したレッテルではなくて、西洋紙片に黒インキで、
[#天から4字下げ]Gelsemium
と書かれてありました。すると、それを見た俊夫君の顔には、例の満足の微笑がただよいました。
「これは、たしかに盗賊が落としていったものですか」
「はあ、うちでは色々の化粧水や薬品を使いますから、はじめは、うちの罎かと思いましたが、よく検《しら》べてみると違っております。多分、私たちのどちらかが抵抗したとき、覆面の曲者《くせもの》が落としたものと見えます。ちょうど、私たちの枕もとに転がっておりました」
この時、小田刑事は待ちかねたように、俊夫君に向かって尋ねました。
「その横文字は何という意味かね?」
「これですか、これはゲルセミウムという毒物です。ゲルセミウムという植物の根にある一種のアルカロイドで、アルコールによく溶けます。ストリヒニンと同じく、非常に苦い味を持っていまして、薬剤としては神経痛などに用いられますが、それよりもこの毒は一種の不思議な作用を持っているのです」
「不思議な作用とは?」
「僕は自分で経験したことはないですが、アメ
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