れを蠕動《ぜんどう》させることなのです。
御承知かも知れませんが、人間の心臓や腸は、その人の死んだ後でも、これを適当な条件のもとに置くときは、生前と同じようにその特有な運動を始めるものです。心臓に就《つい》ては、実に、死後二十時間後に於ても、それを切り出して、動き出させることが出来たという記録があります。腸に就てのレコードを私は存じませんでしたが、少くとも心臓と同じくらいのレコードは作り得《う》ると考えました。
はじめ私は心臓を切り出して、これを犯人の眼の前で動かせて見せようかとも考えましたが、心臓を生き返らせる装置は腸のそれに比して遥かに複雑ですから、私の目的を達するには不便だと思って、腸を選ぶことにしました。ことに腸管は、一見蛇のように見え、その運動も、蛇がゆるやかに動くように見えますから、犯人にとっては可なりに強い恐怖を与え、自白せしめることが出来るだろうと予想しました。
先ず、私は実験によって、死後何時間までぐらいの腸を生き返らせることが出来るかを定めようとしました。すると、多数の実験の結果、やはり死後二十時間までの腸ならば例外なく動き出させることが出来るという確信を得ました。通常切り出した腸について、生理学実験を行うときには、切り出すべき腸管の長さは五寸ぐらいでありますが私のは目的が目的ですから、少くとも一尺五寸位を切り出すことにきめました。生理学実験の際には直径七八寸、高さ一尺ぐらいの一端に底のある円※[#「土へん+壽」、第3水準1−15−67]形のガラスの容器の中に、更に腸のはいる位のガラスの容器を装置し、その中にタイロード氏液と称する透明の液を入れ、腸管の両端を糸でしばって液中に縦に浮游せしめて下端を器の底に固定し、上端を糸で吊り上げ、糸の先に梃子《てこ》をつけ、腸の運動を梃子に伝わらしめて、之を曲線に書かしめるのですが、私の方法はそれとちがって、大きい方のガラス器に直接タイロード氏液を入れ、切り出した腸管の両端を糸でしばり、上端だけを糸で吊り上げて容器の中に浮游せしめることにしたのです。そうして、タイロード氏液を三十七度内外に保つために、下からブンゼン瓦斯《ガス》灯によって暖め、なお、酸素を通ずるために、ガラス管を液の中に入れました。生理学の実験では、切り出した腸管全部を液の中に浸しますが、私は、糸で吊り上げた一端を三四寸空気の中に出し、もって、腸の運動の印象を深からしめようとしました。仮に腸を鰻にたとえるならば、頭を糸で吊って、胸まで空中に出し、それ以下を液の中へ沈めるのです。尤《もっと》も切り出した腸は鰻の色とはちがって、全体が薄白く、それが蚯蚓《みみず》のように、而も極めて緩く動くのですから、馴れない者の眼には可なりに気味の悪い印象を与えます。而も死んだ人の腸がいわば生きかえるのですから、殺人犯人によっては、殺された本人が生き返ると同じようなショックを与えるであろうと私は思いました。
すると果して、私はこの方法によって、可なりに頑固な犯人を、数人白状せしめることが出来ました。
恋の遺恨で、朋輩《ほうばい》を殺した電気会社の職工は、死体が解剖される間は、にやにや笑って見て居ましたが、やがて私が腸を取り出して、例の装置に結びつけますと、急にその笑いを失い、眼を大きく開いて、蛇のような臓器を見つめましたが、暫く過ぎて、腸がぴくりぴくりと動きかけると彼は額の上に汗の玉をならべ始めました。と、その時腸管が、急にくるり[#「くるり」に傍点]と液の中で一回転したのです。
「ウフッ、ウフッ」
笑いとも恐怖とも、何とも判断のつきかねる声を発したかと思うと、見る見るうちに彼は顔色を土のようにして、その場に蹲《うずくま》ってしまいました。それから彼は、長い間言葉を発することが出来ませんでしたが、言葉を発するや否や、その罪状を逐一白状してしまいました。
あるときは又、次のような異常な場面もありました。
それは、ある金持の老婆の家に強盗にはいって、老婆を惨殺した、四十五六の、眼の凹んだ顴骨《かんこつ》の著しく出張った男でしたが、解剖の行われる間、彼はマスクのような顔をして、呼吸一つさえ変えずに、柱のように突立って居《お》りました。私は心の中で、「そんなに何喰わぬ顔をして居たとて駄目だよ、今にびっくりさせられるから覚悟をするがよい」と呟き乍《なが》ら、例の如く腸を切り出してガラス器に取りつけました。と、その時、今迄無表情であったその眼に、案の如く好奇の色があらわれました。
解剖室の中には、白い手術服を着た私と助手と小使、その外に司法官と警官が一人ずつ、容疑者を加えて都合六人|居《お》りますが、決して口をきかぬことにしてありますから、あたりは森《しん》として居て、音のない腸の運動が、聞えはすまいかと思われる程の静かさです。人々は一斉に腸管を見つめました。やがて腸は軽く動き出し、凡そ十回ぐらい伸縮を繰返したと思う時、どうした訳か吊してあった糸がぽっつり切れて、腸の上端が、ガラスの容器の縁《ふち》にひょい[#「ひょい」に傍点]と載りかかりました。丁度その方向が容疑者の真正面に当りましたので、恰《あだか》も一匹の白蛇が、彼に向って飛びかかるかのように見えたのです。
あっと云う間もなく、彼は腸のはいったガラス器をめがけて突きかかりました。ガラスの割れる音がして、水があたりに飛び散りました。その時私は、腸が床の上に見つからなかったので、何処《どこ》へ行ったかと思って見まわすと、彼の首筋の後ろの襟《えり》の間に、とぐろを巻いて載って居ました。男は悲鳴を発し両手を後ろの方にあげて取り除こうとしましたが、つかみ方が間ちがったので、丁度腸をもって首を巻こうとするような動作を行いました。
「ウーン」と腹の中から搾り出すような声を出したかと思うと、どたりとたおれて、後頭部で腸管を圧し摧《くだ》き、凡そ二時間あまりは、息を吹き返しませんでした。無論後に彼は犯人であることを自白しましたが、彼がたおれてから間もなく、口から血の泡を吹き出して、それが老婆の腸の上に流れかかった有様にはさすがの司法官たちも顔をそむけました。
然し私は、真犯人がこのくらい苦しむのは当然のことだと思いました。出来るならば私はもっともっとはげしいショックを与えて犯人を苦しませてやりたいと思いました。むかしの拷問は一種の刑罰法と見做《みな》すべきものでして、犯人を苦しませるには誠によい方法ですが(尤も主として肉体的の苦しみを与えるだけですから物足りませんけれど)犯人でないもの迄が時として同じように苦しみますから、それは拷問の最大欠点です。バーンス探偵の「サード・デグリー」は精神的拷問ですから、頗《すこぶ》る興味がありますが、これは主として訊問によるのでして、止むを得ず所謂《いわゆる》鎌をかけねばならず、それによって幾分か、無辜の人をも苦しめる欠点があります。然るに私の考案した「腸管拷問法」は、犯人でないものには何の苦痛も与えません。始めから終り迄沈黙の裡に事を行うのですから、人体解剖を見馴れぬ人には、多少の刺戟を与えるかも知れませんが、多くの場合、十中八九まで真犯人らしいと思われる者に対して行われるのですから、精神的拷問法としては、先ず先ず理想に近いものだと思いました。
沈黙というものは、訊問よりも却って怖ろしいものです。罪を持ったものが衆人の沈黙の中で而も自分の殺した死体と一しょに置かれるということは、非常な恐怖を感ぜずには居《お》られません。その上その死体が解剖され、腸管が切り出されて、生き返らしめられるのですから、大ていの犯人は白状する訳です。実際数例に施して一度の失敗もなかったのでしたから、私は腸管拷問法に可なりに興味を持ち、之を行っては人知れず愉快を覚えて居《お》ったのであります。
ところが、世の中には、上には上のあるものです。遂にこの腸管拷問法も、何の役にも立たない人間に接しました。その人間がつまり私の左の頬の痣を造ったのでして、それ以後私は、腸管拷問法を初め、その他の医学的拷問法を一時中止することに致しました。
四
腸管拷問法に対して平気の平左衛門で居た人間というのは、三十前後の男でした。彼は左の頬に先天的に出来たらしい大きな痣がありました。その痣は黒くて、むしろ漆黒といってよい程でありました。最大径は四寸ぐらいあって、その形は蝶々といえばやさしいですが、むしろ毒蛾の羽をひろげたといった方が適当に思われました。
御承知のとおり、身体に何等かの肉体的異常を持つものは、男でも女でも幼い時分から一種のひがみ[#「ひがみ」に傍点]を持ち、だんだん犯罪性を増して行くもので、極端になると、殺人狂になり了《おわ》ります。それはつまり人間全体に対して一種のはげしい憎悪を感ずるからであります。かような不具な男が青春の頃になりますと、性的の刺戟を受けて、女子に対して一種の反抗心を持つに至ります。そうして、一旦女子を恋して、その恋が受け入れられると、こんどは、女子を熱愛しその代りに、激しい、むしろ病的といってよい位の嫉妬心を起します。それがため、いろいろの邪推を起して遂には女を殺します。そうして、殺した後に、邪推だったということがわかると悔恨の念もまた甚だしいのです。沙翁《さおう》の「オセロ」を御承知でしょう。黒人オセロは、イヤゴーの讒言《ざんげん》によって、妻デズデモナを殺しますが、後に邪推に過ぎなかったことがわかると、悔恨のあまり自殺しました。尤も同じ不具者でも、殺人狂にまでなったものは、たとい嫉妬によって人を殺し、邪推であったとわかっても、オセロのように後悔しないのですが、それ程強い犯罪性のないものには、多少の悔恨の念は残って居る筈です。私の今申し上げて居る男は、後に発狂してしまって、彼が殺人罪を犯すに至った(いや、厳密にいえば、殺人を果して彼が行ったかどうかさえわからぬのですが)その心的経路を知るに由ありませんけれど、周囲の事情から察して、恐らく、嫉妬のために殺人を行い、悔恨のあまりに発狂したと見るべきでして、而も、頑強に白状することを拒みとおしたのであります。
その男が何という名で、何処に生れたものであるかということは今以てわかりません。殺された女は、ある人の妾で、女中と二人、浅草田町に小ぢんまりした家に住んで居《お》りました。女中がその家に雇われたのは半年ほど前で、妾になった女も、女中の来る一週間前から、其処《そこ》に家を持ったのだそうで、女中は、女が、その以前、何処に住って何をして居たのか少しも知りませんそうでした。
兇行のあった日の夕方、男が始めて女の家を訪ねたそうです。女中はその男を見たとき左の頬にある痣のために、恐ろしい感じがしたそうです。すると、女は男を出迎えて、さもさも驚いたような顔をして、
「まあ、繁さん、あんた生きて居たの?」と申したそうです。「繁さん」であったか「常さん」であったか、女中ははっきり覚えて居ないと申したそうです。
それに対して、男は何か云ったそうですがよく聞きとれなかったということです。とりあえず女は男を奥の座敷に招じ入れ、頻《しき》りに密談して居たが、やがて女は、女中を御湯に行かせ、附近の料理屋で、二人前の料理をとって来るよう命じたそうです。
それから女中が帰って来るまでに凡《およ》そ一時間かかったそうです。四月末のこととて、もうその頃はすっかり夜になって居ましたが、家の中が静まりかえって居たので、不審に思って奥の座敷の襖《ふすま》をあけて見ると、女は首に手拭を巻かれて、仰向きに死んで居たそうです。女中は夢中になって交番にかけつけ、男の左の頬に痣のあることと、着て居た衣服《きもの》の縞柄とを話したので、直ちに非常線が張られ、その夜の十時頃、男は上野駅で逮捕されたのだそうです。
彼は直ちに警察に拘引され、とりあえず女中を呼んで見せると、この人に間ちがいないと証言したそうです。ところが彼は何をたずねても知らぬと言い張り、そんな女の家をたずねたこともなければ、この女中も見たことがない
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング