の頃の第三部の試験を受けて合格しました。それから高等学校を無事に卒業し、大学へはいるに至って、はじめて医学を修めることに多大の満足を感じました。即ち、解剖学実習室で、死体を解剖するようになってから、いうにいえぬ愉快を覚え始めたのです。鋭いメスの先で一本一本神経を掘り出して行く時の触感、内臓に刀《とう》を入れるときの手ごたえに私は酔うほどの悦楽を催おし、後には解剖学実習室が私にとって、楽園《パラダイス》となりました。多くの学生は解剖実習を嫌います。それは死体を扱うことに不快を覚えるというよりも寧ろ面倒臭いためでありますけれど、私は出来ることなら、一年中ぶっ通しでもよいから、実習室にはいって居たいと思いました。
彼此《かれこれ》するうちに、私は死体というものに一種の強い愛着の念を覚えるに至りました。老若男女を問わず、死体でさえあれば、それに接するのが楽しくなったのです。妙な話ですが、例えば美しい女を見るとします。すると私は、その女の生きた肉体に触れることよりも、その女を死体として、その冷たい皮膚に触れたならば、どんなに楽しいかと思いました。更に、その死体の冷たい皮膚にメスを当てたならば、なお一層うれしいだろうと想像したものです。といって、別にその女を殺そうというような気には決してならなかったのです。それのみか、人を殺した人間に対しては、はかり知れぬ憎悪の念を抱きました。そうして、さような人間をば、あく迄苦しめてやりたいという衝動に駆られました。これが即ち、私をして法医学を志さしめるに至った重大な動機なのです。即ち、法医学では、死体を取り扱うことが出来ると同時に、鑑定によって、犯人の逮捕を助けることが出来、従って犯人を精神的に苦しめることが出来るからであります。いや、全く、変な動機もあればあるもので、現今の法医学者中、私と同じような動機で、法医学を志したものは、私以外には一人もないだろうと思って居《お》ります。
サヂズムを持った人間は、通常血を見ることを非常に好むといわれて居《お》りますが、私は特に血を見ることを好むというほどではありませんでした。尤《もっと》も、ここでいう「血」なるものは、生きた身体即ち、暖かい身体から流れ出る血をいうのでありますが、死体から出る血に対しては、どちらかというと快感を覚えました。然し、その色を見て愉快に思うというよりも、むしろ、ねばねば
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