むざん》の、犬畜生《いぬちくしょう》にも劣る悪人だよ」
「えッ?」
 あまりに意外な言葉に法信は思わず叫んで、化石したかのように全身の筋肉をこわばらせ、和尚の顔を穴のあくほどながめた。
「わしはなあ、人を殺した大悪人だ。さあ、驚くのも無理はないが、お前がこの寺に来る前に雇ってあった良順《りょうじゅん》という小坊主は、あれはわしが殺したのだ」
「嘘《うそ》です、嘘です、和尚さま、それは嘘です。どうぞ、そんな恐ろしいことはもう言わないでください」
「いや、本当だよ。阿弥陀様の前で嘘は言わぬ。良順は、表て向きは病気で死んだことになっているが、その実、わしが手をかけて死なせたのだ。それには事情《わけ》があるのだよ、深い事情があるのだよ。その事情というのはまことに恥ずかしいことだけれども、これだけはどうしてもお前に聞いてもらわねばならん。
 わしは坊主となって四十年、その間、ずいぶん人間の焼けるにおいを嗅《か》いだ。はじめはあまり心地のよいものではなかったが、だんだん年をとるにしたがって、あのにおいがたまらなく好きになったのだ。そうしてしまいには、人間の脂肪の焼ける匂いを一日でも嗅がぬ日があると、なんだかこう胸の中が掻《か》きむしりたくなるような、いらいらした気持になって、じっとして坐っていることすらできなくなったのだ。あさましいことだと思っても、どうにも致し方がない。魚を焼いても、牛肉を焼いても、その匂いは決してわしを満足させてくれぬ。あの、したまがり[#「したまがり」に傍点]の花の毒々しい色を思わせるような人肉の焼けるにおいは、とても、ほかのにおいでは真似《まね》ができぬ。
 お前は、わしがこのあいだ貸してやった雨月物語の青頭巾《あおずきん》の話を覚えているだろう。童児に恋をした坊主が、童児に死なれて悲しさのあまり、その肉を食い尽くし、それからそれに味を覚えて、後には里の人々を殺しに出たというあの話を。わしは、ちょうど、あのとおりに人界の鬼となったのだ。そうして、とうとう、そのために、良順を殺すようなことになったのだ。
 良順がしばらく病気をしたのを幸いに、わしはひそかに毒をあたえて、首尾よく彼を殺してしまった。まさか、わしが殺したとは誰も思わないから、ちっとも疑われずに葬式を出した。しかし、彼が焼かれる前に、彼の肉は、ことごとく、わしのために切りとられたのだ。そうしてそのことは、もとより誰も知るはずがなかったのだ。
 それから、わしがその良順の肉をどうしたと思う。さすがにわしもたびたび人を殺すのは厭《いや》だから、なるべく長い間、彼の肉の焼けるにおいを嗅ぎたいと思ったのだよ。そこでいろいろと考えた結果、ふと妙案を思いついたのだ。それはほかでもない、その肉の脂肪から、蝋燭を作ろうと考えたのだ。蝋燭ならば坊主の身として、朝晩それを仏前で燃やしてにおいをかぎ、誰に怪しまれることもない。それに蝋燭にしておけば、かなり長い間楽しむことができる。こう思って、わしはひそかに手ずから蝋燭を作ったよ。普通の蝋の中へ良順の脂肪をとかしこんで、わしは沢山思いどおりのものを作った。
 そうして毎日、わしはもったいなくも、勤行の際に、その蝋燭を燃やして、わしの犬畜生にも劣る慾を満足させておった。時には勤行以外のおりにも、蝋燭を燃やして楽しんだことがある。だが今日まで、仏罰にもあたらず暮らしてきた。思えば恐ろしいことだった。
 ところが、法信、わしの作った蝋燭には限りがある。毎日一本ずつ燃やしても一年かかれば三百六十五本なくなる。だんだん蝋燭がなくなってゆくにつれて、わしは言うに言えぬもどかしさを覚えたよ。この二、三日、わしはなんともいえぬやるせない心細さを感じてきた。これではなんとかしなければならんと、法信、わしは食べ物も咽喉《のど》をとおらぬくらい考え悩んだのだ。
 ここにいま燃えているのが、良順の脂肪でつくった蝋燭のおしまいだ。わしは先刻から気が気でないのだ。法信、わしは良順の代わりがほしくなった。わしは、法信、お前を殺したくなった。
 こら、何をする! 逃げようったとてもう駄目だ。この暴風雨は、人を殺すに屈竟《くっきょう》の時だ。これ泣くな、泣いたとて、わめいたとて、誰にも聞こえやせん。お前はもう、蛇《へび》に見こまれた蛙《かえる》も同然だ。いさぎよく覚悟してくれ、な、わしの心を満足させてくれ、これ、どうかわしの不思議な心をたのしませる蝋燭となってくれ、よう」
 和尚に腕をつかまれた法信は、絶大な恐怖のために、もはや泣き声を立てることすらできず、その場に水飴のようにうずくまってしまった。でも、今が生死のわかれ目と思うと、その心は最後の頼みの綱を求めて、思わず歎願の言葉となった。
「和尚さま、どうぞ勘弁《かんべん》してくださいませ。わたしは死にたくあり
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