チに腰を下して、さて、これからどうしたものであろうかと考えて居るとき、ふと、面白い考えが浮んだ。
「自分が死ぬよりも、誰かに代って死んで貰った方が、はるかに楽である」
 と、彼は考えたのである。いかにもそれは愉快な考えであった。そう考えると彼はもう自殺するのがすっかり厭になった。自殺しようとした自分の心がおかしくなって来た。そうして急に人を殺して見たくなった。ことに愉快なことは、今、亜砒酸を用いて毒殺を行《や》ったならば、医師は前述の理由で、コレラと診断し、毫《ごう》も他殺の疑を抱かないに違いない。自分で死んで医学を愚弄するよりも、自分が生きて居て医学を愚弄した方がどれだけ愉快であるかも知れない……。こう考えると静也は、うれしさにその辺を駈けまわって見たいような気がした。
 彼は下宿に帰ってから、然らば一たい誰を殺そうかと考えた。すると、彼の目の前に下宿の主婦《おかみ》のあぶらぎった顔が浮んだ。彼は自分が痩せて居たために、ふとった人間を見ると癪《しゃく》にさわった。そこで彼は下宿屋の主婦《おかみ》を槍玉にあげようかと思ったが、あんな人間を殺しても、なんだか物足りないような気がした。
 段々考えて居るうちに、彼は突然、友人の佐々木京助を殺してはどうかと思った。彼は、京助のふとって居ることがいつも気に喰わなかったが、ことに、京助の顔は、この世に居ない方がいいというようなタイプであったから、京助を犠牲にすることが一ばん当を得て居るように思われた。尤《もっと》も、敏子に対する腹癒《はらい》せの感情も手伝った。綺麗さっぱりとはねつけられた返礼としては正に屈竟《くっきょう》の手段であらねばならぬ。
 こう決心すると、彼は非常に自分の命が惜しくなって来た。殺人者は普通の人間よりも一層生に執着するものだという誰かの言葉がはじめて理解し得られたように思った。殺人を計画するだけでさえ生に対する執着がむらむらと起るのであるから、殺人を行《や》ったあげくにはどんなに猛烈に命が惜しくなるだろうかと彼は考えるのであった。良心の苛責《かしゃく》などというものも、要するところは、生の執着に過ぎぬかも知れない。こうも、彼は考えるのであった。
 然し、殺人を行うのは、自殺を行うとちがって、それほど容易ではない。どうして京助を毒殺すべきであろうか。これには流石《さすが》に頭をなやまさざるを得なかった。然
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