君は得意げに聞きます。
「分からない」
「明礬《みょうばん》で書いてあるんだ」
「では水に入れると分かるね?」
「ああ」
 俊夫君は棚から、指紋を採る道具を出してきて、紙の縁のところに八パーセントの硝酸銀を塗り、窓際において日に乾かせました。しばらくすると、不完全な一つの指紋が黒くあらわれました。
「兄さん、写真機!」
 写真機を持ってゆくと、俊夫君は手早く撮影し、後、黒塗り盆に水を満たしてその上へ手紙を広げて浸しました。果たして白い文字があらわれました。
「俊夫君、近いうちに大きな窃盗事件が起こるが、いくら君でも今度の犯人は見つかるまいよ」
 と、毛筆で書かれてありました。
 これまでたくさん犯人から脅迫状はきましたが、このように盗むことを予告する犯人はまだありませんでした。しかもどこに窃盗事件が起こるか、何が盗まれるか分からぬので、さすがの俊夫君も面食らったようでした。
「どうも見たことのある筆跡だ」
 と俊夫君はしばらくして言いました。
「兄さん、この字は、筆の軸の端に糸をつけ、高い所から吊るして書いたものだよ。そうすると、どんな人でもちがった筆跡《て》になる」
 それから二三日は何事もなく過ぎましたが、四日目の朝、赤坂の叔父さんから、俊夫君に、急用ができたからすぐ来てくれと電話がかかりました。俊夫君はハッと思ったらしく、探偵用道具の入った鞄を私に持たせて、叔父さんの家にかけつけました。
 先方へ着くと、叔父さんは待ちこがれたと言わぬばかりに、私たちを書斎に案内して、
「実は俊夫! ゆうべ、ダイヤを盗まれたんだ!」
「えっ?」
 といつもあわてたことのない俊夫君も、少しく顔色を変えました。
「俺にもお前にも大切な品だから、まだ警察へは届けてないが、お前一人で探偵できるか?」
 と叔父さんは尋ねました。
「一人でやります」
 と俊夫君はきっぱり言いました。
「よろしい。それでは盗まれた次第を話そう」
 こう言って叔父さんは次の話をしました。
 紅色ダイヤはいつも書斎の金庫の中にあるが、今朝《けさ》食後に叔父さんが、書斎で新聞を見ようと思って入ってこられると、金庫の扉があいていたので、ハッと思って調べてみると、別に何一つ失っていない。ところが念のためにダイヤモンドの入っているサックを開けてみると、驚いたことに、中にダイヤはなくて新聞紙の片《きれ》を細かに折ったのが入っているばかりであった。
 金庫は符号錠であるから符号を知らぬものには開けられない。その符号は叔父さん一人知っているだけなのに、こうして開かれたところを見ると、昨日《きのう》金庫を閉め忘れたのかもしれぬ。それに窓や戸を検《しら》べても外から入った形跡がないから、犯人は家族のものとも思われぬではないが、家族は叔父さんと叔母さんと女中と下男とで、女中や下男は長年いて正直なものばかりであるから疑う余地は少しもない。……
 俊夫君は叔父さんの話が終わると、先日届いた無名の手紙の話をし、拡大鏡を取りだして金庫を検べました。金庫の前面にかすかに一つの指紋がついていましたので、俊夫君は鉛白粉《えんぱくふん》をかけて指紋をはっきりさせ、写真に撮影しました。
 金庫の内外の検査が終わると、俊夫君は書斎の窓や庭や、その他のところを綿密に検べ、それが終わると、書斎へ戻って、
「叔父さん、ダイヤのサックはどこにあります?」
 と尋ねました。
 叔父さんは机の引き出しからサックを出して渡しました。中には新聞紙が入っていました。
「叔父さんが入れたのではない?」
「そうとも」
「では犯人でしょうか?」
「そうだろう」
 俊夫君は新聞紙を丁寧に開きました。それは二寸四方位の小さな紙片でした。俊夫君は、すかして見たり裏返して見たりしていましたが、
「叔父さん! これを借りてゆきます」
 と申しました。
「いいとも。それで犯人の目星はついたか?」
「まだ分かりません。しかし二三日うちには見つけます」
 叔父さんの家《うち》から帰ると俊夫君はすぐ金庫の上の指紋の写真を現像して、手紙にあった指紋の写真と比較しました。二つの指紋はぴったり一致しました[#「二つの指紋はぴったり一致しました」に傍点]。それから俊夫君は例の新聞紙片を私に渡して言いました。
「兄さん、これ、何だか分かる?」
 見ると三面記事の一部分で、裏は広告でしたから、別に何の意味があろうとも思えませんでした。
「すかしてごらんなさい!」
 言われるままにすかして見ると、活字の所々に針で穴があけてありました。
「それは暗号だよ」
 と俊夫君は申しました。私は左に、針で穴のあけてある文字に、点を打ってその新聞記事を写し取ってみましょう。
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「本郷駒込富士前の理化学研究所、近藤研究室で、整色写真化学の研究を行って[#「を行
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