江戸川氏と私
小酒井不木
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)大《おおい》に
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(例)[#地付き]『大衆文藝』昭和二年六月
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はじめて江戸川氏の作品に接したのは、大正十一年の夏頃ではなかったかと思う。「新青年」の森下氏から同君の「二銭銅貨」と「一枚の切符」を送って来て、日本にもこれほどの探偵小説が生れるようになったから、是非読んで下さいとの事であった。早速「二銭銅貨」を読んだところが、すっかり感心してしまって、森下氏に向って、自分の貧弱なヴォカブラリーを傾け尽して、讃辞を送ったのであった。そうして「二銭銅貨」が発表されたときには、私の感想も共に発表された。
これが縁で私は江戸川氏と文通することになった。時々長い手紙を寄せて同氏は私を喜ばせてくれた。その後、ポツリポツリ氏の作が「新青年」に発表されるごとに、私はむさぼり読んで、江戸川党となった。
関東の大震災の後、私は田舎から名古屋に移り住んだ。その翌年中、同氏はやはりポツリポツリ発表した。いずれも傑作ばかりである。私は、江戸川氏にむかって、探偵小説家として立ってはどうかということをすすめた。すると、森下氏あたりからも、その話があったと見え、同氏は「心理試験」の原稿を私に送り、これで探偵小説家として立ち得るかどうかを判断してくれというような意味の手紙を寄せた。
「心理試験」を読んで、私は、何というか、すっかりまいってしまった。頭が下った。もうはや、探偵小説家として立てるも立てぬもないのだ。海外の有名な探偵小説家だってこれくらい書ける人はまずないのだ。そこで、更に大《おおい》にすすめたのであるが間もなく、一度上京して、いろいろな人に逢って決したい。その序《ついで》に立ち寄るという手紙が来た。
私は大に待った。十四年の一月、とうとうやって来た。初対面の挨拶に頭の毛のうすいのを気にした言葉があった。私たちは大に語った。江戸川氏は、これから書こうとする小説のプロットを語った。それが、後に「赤い部屋」として発表されたものである。
同氏はこのとき、頻《しき》りに私に、創作に筆をそめるようすすめた。私も、創作をして見ようかという心が、少しばかり動いていたときであるから、とうとう小説を書くようになったのである。「女性」四月号に出た「呪われ
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