して、周囲の事情からして、死体は絞殺されたものと推定されました。そこで、ある大学の法医学教授が自絞か他絞かの鑑定を命ぜられました所、教授はその区別は明かでないという鑑定を下しました。ところが、事件が長引いて、ある市井《しせい》の開業医が再鑑定を命ぜられましたら、その開業医は、自絞に間違いないと断定したのです。その鑑定の根拠として、その人は次のような事項をあげました。第一に、自絞即ち自分で自分の頸《くび》をしめる場合には、絞める力が弱く、且つ吸息後に決行するから、死体の胸部を強く圧迫すると呼気を出すが、他絞即ち他人に頸をしめられる場合には、絞める力が強く、且つ呼息時に行われるから死体の胸部を圧迫しても呼気を出さない。第二に、自絞の場合には、吸息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈ではないが、他絞の場合には呼息時に行われるから、肺臓の鬱血が劇烈で、丁度肺水腫のような外観を呈しているというのです。実に、念の入った暴論ではありませぬか?」
「いや全く探偵小説家のヨタ以上ですね」と察しのよいブライアン氏は言った。「一寸考えて見ると、いかにももっともらしいですが、生理学書の一頁でも見た人には、そういう結論は下されませぬね」
「本当にそうです。肺臓内の血液量は吸息時に最多量で、呼息時には少くなるのですから、呼息時に行われると称する他絞の際に、肺臓の鬱血が劇烈である筈はありません。これだけでも既に自家撞着に陥っています」
「吸息時には肺が拡がるから、血液が追い出されるとでも考えたのでしょう」
「そうかもしれません。それはとにかく、自絞が吸息状態で行われ、他絞が呼息状態で行われるという説も、随分独断的ではありませぬか?」と私は言った。
「困ったものですね。世の中には自分の経験が絶対に正しいと信じている人がありますが、その人などもそういう頑固な人の部類に属しているでしょう。つまり、自絞が呼息状態でも起り、他絞が吸息状態でも起り得るということを考える余裕さえないのでしょう。よく何年、何十年の経験とか言って、世間の人から尊《とうと》がられますが、経験だとて間違いがないとは限りませんよ」
「それにしても、そういう人の鑑定で裁判された日には、たださえ誤謬の多い裁判が、誤謬をなからしめようとする目的の科学的鑑定のために、却って毒されることになりますね。恐らくあなたは、そういう例に度々御逢いになったことと思いますが、如何ですか?」と、私は、ブライアン氏に何か話してもらおうと思って、ひそかに氏の顔色をうかがった。
「ないこともありません」と氏はニコリ笑って言った。「中には随分滅茶々々な鑑定をする医師があります。今晩はだいぶあなたに話してもらいましたから、これから私の関係した事件の御話を致しましょう」
          ×       ×       ×
「これは数年前、紐育《ニューヨーク》から程遠からぬ田舎で起った事件です」とブライアン氏は言った。
 その地方の豪農に、ミルトン・ソムマースという老人があった。よほど以前に、夫人に死に別れてから、一人息子のハリーと共に暮していたが、事件の当時ハリーは二十二歳で、丁度、農学校を卒業したばかりであった。母のない家庭であったため、父子は非常に親密であって、家政一切は、ミセス・ホーキンスという老婆が司《つかさど》り、近所には、ソムマース所有の田地に働く小作たちの家族が群がり住っていた。
 ソムマースの家から一|哩《マイル》ばかり隔たったところのスコットという農家に、エドナという娘があった。彼女は、鄙《ひな》に似合わぬ美人で、色白のふっくりとした愛らしい顔と、大きな碧《あお》い眼と、やさしい口元とは、見るものを魅せずには置かなかった。ところが、彼女は非常な山だしの御転婆で、夏はいつも跣足《はだし》で歩きまわり、年が年中、髪を結ったことがなく、房々とした金髪は、波を打って肩の上に垂れかかり、頸や腕は、かなりに日に焼けていた。ハリーはいつしか、この娘と恋に落ちたのである。
 彼はしかし、そのことを父に告げる勇気がなかった。父は由緒ある家系を誇る昔し気質《かたぎ》の人間であるばかりでなく、娘の家を常々卑しんでいて、ことにエドナの性質を見抜いて、「鬼女」という綽名《あだな》をつけた程であるから、到底二人の結婚を承諾してくれまいと思ったからである。ところが、二人の恋は段々|募《つの》り、結婚してしまったら、父も文句は言うまいと考え、ハリーはひそかにエドナを紐育へ連れて行って結婚した。これを聞いた父は大に怒って、どうしても二人を我が家へ寄せつけなかったので、二人は致し方なく、程遠からぬ所に他人の用地を借り受けて自活することにした。
 一しょに暮して見ると、ハリーは嫁の性質が父のつけた綽名にふさわしいことを知った。彼女は手におえぬじゃじ
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