観念は、消えるどころか益々旺盛になって来た。
私はとうとう会社をやめてしまった。然し近頃は彼女と日夜一しょに居ることが、何となく苦しいように思えるので、午前に注射を受けに行くと、午後には散歩に出かけたが、彼女は私について来たいとも言わなかった。ある夜私は、晩飯を日本橋の某料亭ですまし、一杯機嫌でいい気持になったので、彼女をびっくりさせてやろうと、音のせぬように入口の格子戸をあけ家の中へあがって、ぬき足で、茶の間の入口まで来ると、彼女をおどしてやろうと思った私の全身は氷を浴びせかけられたかのように其《そ》の場に立ちすくんだ。
彼女は、丁度《ちょうど》、犬がやるように、火鉢の中に頭を突き込んで、灰をべろべろ[#「べろべろ」に傍点]嘗めて居たのである。
私は恐ろしさに、踵《きびす》を返して逃げ出そうとしたが、その時彼女は顔をあげて、私の方を見ながら別に驚いた様子もなく、手巾《ハンケチ》で口を拭って言った。
「まあ、いつ帰って来たの? わたし近ごろ灰や泥がたべたくて仕様がないのよ。妊娠したんだわ」
私はこの言葉をきいてはっ[#「はっ」に傍点]と思った。なるほど、妊娠の際には所謂《いわゆ
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