ごろになって彼女はなまぐさい汁のかかった泥を一層好んで喰うようになった。やっぱり妊娠ではない犬の祟だ。いや、彼女自身が犬なのだ。彼女は私の身を滅ぼすために魔界から遣わされた犬だ。こう思うと、私はだんだん、彼女に近づくことさえ怖くなり、後には彼女の存在をも呪うようになった。彼女は相も変らず茶の間に閉じこもり、「金毘羅大神」の額の下で、火鉢のそばで針仕事をして居た。
ある晩私が、無闇に酒をのみ、その夜に限って常になく酔って帰ると、彼女は白い布《きれ》で何か作って居たが、私が傍へ行くと、つと、それを後ろにかくした。
「何だい、それは?」
こう言って、私は彼女にとびかかり乍ら、そのものを彼女の手から奪い取り、一目見るなり思わずも落してしまった。それは玩具《おもちゃ》の犬であった。
私はぎょっとした。
「なぜこんなものを作るのだ!」
「私近頃、犬の玩具が好きになったのよ。それも無理はないわ、私は戌《いぬ》年の生れだもの。あらなぜそんな怖い顔するの?」
こう言い乍ら、彼女は私の機嫌を取るために例の如く私にしがみついて、私の頬をなめた。その時私は常になくぞっ[#「ぞっ」に傍点]とした。というのは、彼女の舌が犬の舌のようにざらざらして居たからである。恐らく彼女は、つい今しがた迄、泥を食べて居たために、舌がざらついたのであろうが、その時はもうそんなことを考える暇はなく、ただもう彼女が犬だという思いで一ぱいになった。
力をこめて、私が彼女を引き離すと、彼女はにやり[#「にやり」に傍点]と笑ったが、その時彼女の口元が三|寸《ずん》ほど前へのびて来て、犬そっくりの口元になった。
火鉢《ひばち》に突き立ててあった裁縫用の鏝《こて》をつかむが早いか、私は力をこめて、彼女の額に打ち下した。その途端、血のようなものが、ぱっと飛び出したようであるが、不思議にも血は流れ出ず、彼女が一言もいわずに仰向きにどたりとたおれると、始めて額の疵《きず》からどす黒い血が畳の上へ流れ出た。
はっと我にかえって、よく見ると彼女の顔はいつもの彼女の顔である。死んだ人間の顔に外ならない。私は私の早まった行為をくやむ傍《かたわ》ら、不思議にも安心に似たような気分が湧き、同時にまた幾分か理性が働きかけたようにも思った。
私は彼女の死体を風呂桶の中へ運んで蓋《ふた》をし、それから座敷兼茶の間へ戻ると、驚いたこと
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