親の丹七は、短刀をもって胸を抉《えぐ》られるほど辛かった。けれども、良雄の亡き父には、かつて一方ならぬ世話に逢ったのであるから、丹七は良雄をうらむ訳にもいかず、
「あさ子、堪忍してくれ、みんな俺が悪いのだ。俺の罪の報《むくい》がお前にあらわれたのだ」と、涙ながらに歎息するのであった。
丹七は伊勢の国の生れであって、他人の内縁の妻と駈落ちして、二人でこの村の遠縁のものをたよって流浪《るろう》して来たのであるが、その遠縁のものはその時死んで居らず、やむなく、良雄の父にすがりつくと、義侠心《ぎきょうしん》に富んだ良雄の父は、近所のあき地に小さい家を建ててやって二人を住わせ綿打業を始めさせたのである。
間もなく二人の間に出来たのがあさ子であった。然しあさ子を生むと同時にあさ子の母は発狂して、川に身を投げて死んでしまった。丹七はそれを天罰だと思い込み、爾来《じらい》、やもめ暮しをしながら、あさ子を育てて来たのであるが、こうして再びあさ子の身の上に悲運が落ちかかって来たのも、やはり、自分の犯した罪のむくいであると考えざるを得なかった。
「大恩ある旦那さんの手前、良雄さんには不足はいえないのだ、あさ子、何も不運だと思ってあきらめてくれ」
こういって丹七は拝むようにして、あさ子を慰めるのであった。
あさ子と良雄との恋が始まったとき、丹七は早くもそれと感づいたけれど、前に述べた理由で見て見ぬ振りをして居たのであった。どうせ身分がちがうことであるから、良雄とあさ子との結婚は望み得ないものとは思って居たのであるが、あさ子を不具《かたわ》にしてしかも、振り捨てて顧みなくなった良雄の仕打に対しては、まんざら腹が立たぬでもなかった。
丹七とはちがい、あさ子は良雄の言葉を信じて、良雄と結婚することが出来るものと思って居た。それだけ、捨てられた時の彼女の悲しみは大きかったのである。そうして、良雄の甘い数々の言葉が、単にその情慾を満すために発せられたものであると思うと、彼女は立っても居ても居《お》られない程くやしかった。
休暇に帰っても、もはや良雄はあさ子の家をのぞきもしなかった。そうして良雄の胸の中から、あさ子の影はいつの間にかかき消されてしまって居た。然し良雄の胸にあさ子の影が薄らぐと正反対にあさ子の胸には、良雄を思い、良雄をうらむの念がいよいよ濃厚になって行った。
[#7字下げ]三[#「三」は中見出し]
それはある冬の夜中のことであった。ふと、丹七が眼をさまして見ると、傍《かたわら》に寝て居る筈のあさ子の姿が見えないので、はっ[#「はっ」に傍点]と思って蒲団《ふとん》の中に手をやるとまだ暖かい。多分便所へでも行ったのだろうと思って暫らく待って居たが一こう帰って来る様子がなかったので、
「あさ子、あさ子」
と呼んで見ても更に返事がない。丹七は恐ろしい予感に襲われ、急いで着物を引っかけて戸外《そと》に出て見ると、月が中天に懸かってあかるく、あたりは森閑としてあさ子の姿は、そのあたりに見えなかった。
ふと、耳を澄すと、その時神社の境内から拍手のような音が聞えて来た。丹七は、扨《さて》はと思って境内に入《い》り、音のする方へ近づいて行くと、果してあさ子は神様の前にひざまずいて、拍手をしながら、何事かを祈念して居るのであった。
暫らく祈念を凝してからやがて、あさ子は立ち上った。彼女は両手を前に差出しながら手さぐりで歩いて、一本の老松《おいまつ》のそばに歩み寄ったが、両手が老松に触れるや否や立ちどまって懐の中から白い人形のようなものを取り出した。丹七は気づかれぬようにぬき足で彼女の傍へ来て、よく見るとそれは、六七|寸《すん》の藁人形であった。
あさ子はその藁人形を、左の手で老松にぴったりあて乍《なが》ら、右手で袂から一本の銀色に光る釘を取り出した。いう迄もなく良雄になぞらえた藁人形を松の木に磔《はりつけ》にしようとするのである。あわや、彼女の右手がその藁人形をぐさ[#「ぐさ」に傍点]と突き刺そうとしたとき、あさ子の右腕は丹七の手によってささえとめられた。
「あさ子、何をする」
「お父さん! わたしくやしい」
こう言ったかと思うと、あさ子は崩れるように父親にもたれかかり、両袖を顔に当てて、声をあげて泣くのであった。
丹七はあさ子の失恋に同情するよりも、「丑《うし》の刻《とき》参り」の真似をするわが子の心の怖ろしさに戦慄を禁ずることが出来なかった。樹間《このま》をもる月影に照されたあさ子の、波打つ肉体の顫律《せんりつ》を感じたとき、丹七は二十年の昔、河の中から引き上げられたあさ子の母の死骸に触れた時の感じを思い起してぎょっとした。
あさ子も母の血統《ちすじ》を受け、思いつめたあげくに、万一のことを仕兼ねないかも知れぬと思うと、全身の血が凍
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