間もなく、ウーンという物凄いうなり声が聞えて、どさりとたおれるような物音が聞えた。
「若旦那!」
「良雄さま!」人々は口々に叫んだが返事がない。
 男も女も極度に恐怖して顔を見合せた。
 一分、二分、三分。
 相変らず天井からは何の音沙汰もない。と、再び数滴の血が同じ場所から畳の上へポタポタ落ちた。
 良雄の母は狂気のように泣いて、人々に天井へ上って検査して来るよう頼んだ。人々ももはや躊躇すべき時機でないので、母家の方から出入りの若者を三人呼び寄せて天井へ上らせた。
 三人のものが天井へ上って蝋燭の灯によってながめた光景は実に戦慄すべきものであった。その三人のものは、今でも、あの時のことを思うと背筋が寒くなるといって居る。
 天井に居たのは良雄ばかりではなかった。良雄が気絶して仰向きに横わって居る真上には、屋根裏の梁に細帯をかけて、可憐のあさ子が、物凄い顔をして縊死《いし》を遂げて居たのである。
 人々はとりあえず良雄をかつぎ出した。良雄は医師の手当によって間もなく息を吹き返したが、たおれる拍子に、手に持って居た蝋燭が良雄の顔に落ちかかり、灯が運悪く良雄の右の眼を焼いて消えたので、右眼が頻りに痛み出した。
 花嫁は高熱に苦しみ、花婿は右眼の劇烈な疼痛に苦しみ、結婚式はさんざんな破目に終った。人々はただもう、あさ子の執念の恐ろしさに戦慄するばかりであった。
 然し不幸は単にそればかりでなかった。花嫁の容態はその後脳脊髄膜炎と変じて、約一ヶ月の後平熱にかえったが、脳を冒されて白痴のようになってしまった。又、良雄の右眼の傷は意外にも重性の炎症を起し、早く剔出《てきしゅつ》すればよかったものを、手遅れのために交感性眼炎を発し左眼も同様の炎症にかかり、遂に両眼とも失明するのやむなきに至ったのである。
 自分で蒔《ま》いた種は自分で刈らねばならない。良雄は遂々《とうとう》自分の両眼をもって自分の罪をあがなったが、自分の罪が、無辜《むこ》な花嫁にまで及んだことを思うと、今更ながら自分のあさ子に対する行為が後悔された。そうして良雄は自然恥かしさのために郷里に居られなくなり、祖先伝来の家屋敷を売り払って母と共に寂しく名古屋の郊外に移り住むことにしたのである。
 どうして、あさ子が良雄の家の離れ座敷の屋根裏にしのび込んだかは今でも疑問とされて居る。花嫁の盃の中に滴った血は、いう迄もなく縊死したあさ子の死体から流れて天井にたまったものであるが、それが丁度花嫁の捧げた盃の中にはいるということは、あまりにも因縁の深い偶然といわねばならない。
 良雄は後に、天井裏の探険に行った時のことを物語って、縊死して居たあさ子の手が自分をまねいたので思わず引き寄せられて行ったと話したそうであるが、それは恐らく蝋燭のうすぐらい灯によって起った錯覚であっただろうと思う。それにしても、たおれた拍子に、蝋燭の灯が右の眼の上に落ちたということも、やはり、単なる偶然とは思われない。
 最後に一|言《ごん》。あさ子の父丹七は、あさ子の葬式をすました翌日、飄然《ひょうぜん》として出発したまま、その後帰って来ないので、人々は、今でもその生死を知らないのである。村人の中には、結婚の夜、丹七がそれ迄監視して居たあさ子の外出を知らぬ訳はないから、故意にあさ子を外出せしめたのだろうという穿《うが》った解釈をするものもあるが、果してそうであったかどうかは誰にもわかる筈がない。



底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房
   2002(平成14)年2月6日第1刷発行
初出:「現代」
   1926(大正15)年7月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:宮城高志
2010年4月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング