いました。「箕島の死骸は、今日、大学の法医学教室へ運ばれて、解剖されるにちがいない。おれは病理学教室にいる時分、時々法医学教室へもいったが、法医学教室は教授と助手二人と小使との四人きりで、解剖は教授がやることもあるし、助手がやることもあるのだ。殺人死骸が外から運ばれてくると、とりあえず解剖室に置いて、すぐさま、解剖の始まることもあるが、大ていは、四五時間の後か、或は教授の都合により、翌日に行われるのだ。だから、こんども、その間に、うまく教室へしのびこんで、死体の腹を開いて、胃の中から、ダイヤモンドを取り出せばいい」
「なる程なあ」と、京山もこの妙案に力づけられていいました。「けれど、夜分ならともかく、今日の昼中解剖が行われて警察の人間がそばに居たら、盗みにはいることも出来ないじゃないか」
「それもそうだ」と、仙波は再び考えこみました。そうして暫くの後、何思ったか、じっと京山の顔を見つめて、にこりとしながら「いいことがある」と叫びました。
「何だい、俺の顔ばかり、じろじろながめて」
「その貴様の顔が入用なんだよ。というのは、貴様に白い鬘《かつら》をきせて、胡麻塩《ごましお》の口髭と頤髭とをつけると、法医学教授の奥田博士とそっくりの顔になるんだ。だから、教授に扮装して教室へ入りこみ、ダイヤモンドを取り出してくればよい」
「なるほど、もしそうだったら、そいつは面白い」と、これまで三人のうちで扮装の一ばん巧だった京山は、一種の誇りを感じていいました。が、次の瞬間、急に顔を曇らせました。
「けれど、俺は解剖のことをちっとも知らないんだから駄目じゃないか。もし沢山の人がいたら、何とも仕ようがないじゃないか」
「そこだよ、貴様の腕を見せるところは、つまり、教授に扮装して、助手に命令し、万事助手にやらせて見ておればよいのだ」
「けれど、そうすれば、ダイヤモンドをその助手にとられてしまうじゃないか」
「無論ぼんやりしていてはいけない。即ちその助手に命じて、胃と腸は都合によって自分で研究して見たいからといって、胃腸を切り出させ、それを貰って逃げてしまえばよいのだ」
「そうか。しかし、同じ教授が二人おればすぐ見つかってしまうじゃないか」
「それで、俺が力を貸してやろうと思うんだ」と、仙波もいつの間にか、真剣になりました。
「先ず、貴様と一しょに警察のものだと偽って法医学教室をたずねる。教授に逢って二三世間話をし、その間に貴様が教授の声色《こわいろ》や癖を研究する。それから突然二人で教授を縛り上げて猿轡《さるぐつわ》をかませる。そうして貴様が持って行った扮装道具で手早く教授に扮装して解剖室へ行く。その間、俺は教授室の中から鍵をまわして本物の教授の番をしている。貴様は解剖室で助手に命じて胃腸を切り出させ、一寸自分の室へ行ってくるといって、そいつをもって帰ってくる。そこですぐさまもとの服装にかえり、臓物を新聞紙に包んで法医学教室を抜け出す。どうだい? これなら、そんなにむずかしいことはないじゃないか」
「うまいうまい」と、京山は、はや計画が成功したかのように、うれしそうな顔をしていいました。まったくこの計画が成功すれば二十万円を二人でわけることが出来るのですから嬉しいにちがいありません。「それじゃ、そういうことにして準備に取りかかろう。これから一寝《ひとね》入りしたら貴様すまぬが自働電話をかけて、解剖が何時にはじまるかきいてくれよ。それとも、解剖はもうはじまったかも知れぬかな?」と、不安そうな顔をしました。
「大丈夫だよ。九時より前にはじまることは決してないよ」と、仙波は自信をもっていいました。

       四
 九時少し前、仙波は法医学教室へ自働電話をかけに行って、にこにこしながら、帰って来ました。二人とも熟睡と朝食との為に、溌溂とした元気でおりました。
「どうだった?」と京山がたずねました。
「上首尾さ」と、仙波は答えました。「午後の正三時に解剖が行われるというのだ」
「そりゃ都合がいい」と、京山も嬉しそうにいいました。「時に、電話で、どういって先方へたずねたのかい?」
「別にむずかしいことはなかったさ」と、いいながらも仙波は少なからず得意です。
「こちらは警察のものだが、昨晩、S区B町で殺された死骸はもう着きましたかとたずねたのさ。すると、小使の声で、今朝早く着きましたという返事よ。〆《しめ》たと思ってね。それから、解剖は何時からですかというと、午後の三時からだという答えなんだ。万事工合よく行ったよ」
 それから二人は扮装に必要な道具を吟味しました。そうして、午後二時四十分ごろ法医学教室をたずねた時には、二人はまったく、私服の警察官らしい姿になっておりました。
 だから、二人は教授室へ、何の疑惑もなく迎え入れられました。京山は教授の顔を一目見るなり、なるほど自分の顔に似たところがあると思い、同時に教授の態度や声色が極めて真似し易いことを知りました。
 教授との二三の会話の後、いま、解剖室には警察や検事局の人が立合って、教授の行くのを待っているばかりであるということがわかりました。で、仙波はすばやく京山に合図をして、あッと思う間に教授に猿轡《さるぐつわ》をはめ、教授をしばり上げました。そうして五分たたぬうちに、京山は、白い手術衣をつけた奥田博士になり切ってしまいました。
 贋の奥田博士が廊下に出るなり、むこうから、同じく白服を着た男が来ました。京山は直覚的に、それが助手であると知りました。
「先生、もう皆様《みなさん》がお待ち兼ねですから、呼びにまいりました」
「そうかね、今一寸手が離せなかったものだから」と贋博士は鷹揚《おうよう》な態度でいいました。
 助手は敬意を表する為、教授の後にまわって歩こうとしました。京山ははッと驚きました。解剖室がどこにあるかわからないので、思わずもその場に立ちどまってしまいました。が、さすがはこれまで幾度《いくたび》となく扮装したことのある京山ですから、突嗟《とっさ》の間に、ある考えを思いつきました。
「実は今日の解剖は君たち二人にやってもらうことにしたよ。だから、そのつもりで一足先へ行って、もう一人の助手にそういってくれたまえ」
 助手は怪訝《けげん》そうに教授の顔を見上げていいました。「矢野君は今日留守で御座いますから、先生と御一緒に解剖するはずで御座いましたが」
「いや、そうそう」と京山は、内心ぎくりとしながら答えました。「ついうっかりしていた。実はねえ、あの死骸は少し怪しいと思うところがあるから、腹の中の……五臓を僕自身で検《しら》べて見たいと思うのだ。だから君面倒だが、真先に腹の中のものみんな取出してくれぬか」
『五臓』などという言葉をこれまで一度も先生の口からきいたことがないので、助手は不審に思いましたが、矢野助手の不在を忘れるくらいだから、先生今日はどうかしてるなと思いました。
「承知しました」こういって助手が先になって走り出そうとすると、
「あ、君一寸」と贋教授はよびとめました。「君、僕はここで待っているが、腹の中のものだけ切り出して持って来てくれぬか。何だか今日は気分がすぐれないから」
 少々京山も臆病になって来ました。
「でも先生、先生の口から、一応検事にそのことを仰《おっ》しゃって下さらなければ困ります。先生がそばにいて下されば、私がすぐ切り出して差上げます」
 この最後の言葉に急に力づけられた京山は、「よし、それでは挨拶に行こう」と助手のあとから、解剖室にはいりました。
 解剖室の中には検事をはじめ、その他の司法官、警察官など数人の人が、鹿爪《しかつめ》らしい顔をして立っていました。京山は何となく気がひける思いをしましたが、折角ここまで事を運んで、やり損なっては何にもならぬと思い、勇を鼓して、かるくみんなに目礼をしました。
 が、中央の解剖台上の死体を見るに及んで顔をそむけずにはおられませぬでした。死体の顔と局部はガーゼで蔽《おお》ってありましたが、胸の創《きず》がまる出しになって、そこから血がにじみ出ていたので、これまで一度も、かようなものを見たことのない京山は、少なからず内心の平衡を失いました。
「この死骸は」と、いきなり京山はいい出しました。その声が少し調子外れでありましたから、みんなは一斉に教授の顔を正視しました。すると教授は一層興奮してしまいました。「腹の中にダイ……いや大事な……証拠をもっていると思いますので、先ず腹の中のものだけを切り出して、それを僕自身で検べて見ようと思います。おい君!」と、助手の方に向い、「大急ぎで取り出してくれたまえ」
 もとより誰も教授の言葉にさからうものはありませんでしたから、何か質問されやしないかと、はらはらしていた京山は、この後幾分か安心の呼吸をすることが出来ました。けれども、彼は全身に汗のにじみ出たことを感じました。
 助手は教授の命令のままに、腹壁を開いて、手早く、腹部内臓の切り出しに取りかかりました。京山は、はじめはおそろしいような気になりましたが、段々見ているうちに、不思議なもので、何ともなくなりました。そうして幾十分かの後腹部内臓の全部が、琺瑯《ほうろう》鉄器製の大盆の上に取り出されたときには、そばにあったピンセットを取り上げて、臓器の一部分に、もっともらしく触れて見るだけの勇気が出ました。
 贋教授はやがて、大盆を取り上げましたが、思ったより重いのにびっくりして下に置きました。
「僕が御室《おへや》まで持って行きましょうか」と、助手がいいました。
「それには及ばぬ」こういって再び持ち上げましたが、その瞬間、ふと、これが昨日まで一しょに語った箕島の『はらわた』であるかと思って、気がぼーっとしました。もしその時、助手が、
「先生!」
 と叫ばなかったなら、或は彼はその盆を床の上に落したかも知れません。
 助手は言葉を続けました。「胸部の解剖はどうしましょうか?」
「どしどしやってくれたまえ。僕はじきかえって来る」
 こういって京山は逃げるようにして、解剖室を出ました。

       五

「重い重い。まったく、くたびれてしまった」と、京山は、大きな新聞紙の包をテーブルの上に投《ほう》り出して、ぐったりと椅子に腰掛けました。
「自業自得だよ。胃腸だけでいいものを、余分のものまでとってくるんだから」と、仙波は、たしなめるようにいいました。でも、二人の顔には、予定どおり事を運んで、首尾よくダイヤモンドを取りかえした満足の表情がうかんでおりました。
「だって、俺は、胃腸という言葉を忘れてうっかり五臓といってしまったんだ」
「馬鹿、五臓といや、胸の臓器もはいるのだよ」
「でも、あの助手は俺の言葉をすっかりのみこんで、とにかく、目的をとげさせてくれたよ。だが、今ごろは教室で大騒ぎをしていることだろう」
「まったくだ。けれど、教授は俺が番をしている間、神妙にしていたよ。それにしても切出しは随分長くかかったもんだ」
「俺も本当に気が気でなかった。……時にぼつぼつダイヤモンドの取り出しにかかろうか。これからは、貴様の仕事だぞ」と、京山は促すようにいいました。
「よし来た」こういって、仙波は新聞紙を解きにかかりました。解いて行くにつれ、生々しい血潮のしみ[#「しみ」に傍点]があらわれましたので京山は妙な気分になりましたが、仙波は平気の平左で手ぎわよくあしらって行きました。
 やがて比較的乾いた内臓があらわれました。
「これが脾臓《ひぞう》で、これが肝臓だ。こいつが馬鹿に重いんだよ。これが胃で、この中にダイヤモンドがあるはずだ」
 こういって彼は、指をもって胃袋の上面を触れました。
「ダイヤモンドは外からさわって見てもわかるはずだ」
 暫くさわっていましたが、
「おや、おかしいぞ!」といいました。この言葉に、京山も思わず全身を緊張させて仙波の血に染った指の先を見つめました。
「おい、鋏《はさみ》とナイフを取ってくれ」と仙波がいいましたので、京山がそれを渡すと、手早く仙波は胃袋を切り開きました。
「無い。腸の方へ行ったのかしら」
 こういって、
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