であるかと思って、気がぼーっとしました。もしその時、助手が、
「先生!」
と叫ばなかったなら、或は彼はその盆を床の上に落したかも知れません。
助手は言葉を続けました。「胸部の解剖はどうしましょうか?」
「どしどしやってくれたまえ。僕はじきかえって来る」
こういって京山は逃げるようにして、解剖室を出ました。
五
「重い重い。まったく、くたびれてしまった」と、京山は、大きな新聞紙の包をテーブルの上に投《ほう》り出して、ぐったりと椅子に腰掛けました。
「自業自得だよ。胃腸だけでいいものを、余分のものまでとってくるんだから」と、仙波は、たしなめるようにいいました。でも、二人の顔には、予定どおり事を運んで、首尾よくダイヤモンドを取りかえした満足の表情がうかんでおりました。
「だって、俺は、胃腸という言葉を忘れてうっかり五臓といってしまったんだ」
「馬鹿、五臓といや、胸の臓器もはいるのだよ」
「でも、あの助手は俺の言葉をすっかりのみこんで、とにかく、目的をとげさせてくれたよ。だが、今ごろは教室で大騒ぎをしていることだろう」
「まったくだ。けれど、教授は俺が番をしている間、神妙にしていたよ。それにしても切出しは随分長くかかったもんだ」
「俺も本当に気が気でなかった。……時にぼつぼつダイヤモンドの取り出しにかかろうか。これからは、貴様の仕事だぞ」と、京山は促すようにいいました。
「よし来た」こういって、仙波は新聞紙を解きにかかりました。解いて行くにつれ、生々しい血潮のしみ[#「しみ」に傍点]があらわれましたので京山は妙な気分になりましたが、仙波は平気の平左で手ぎわよくあしらって行きました。
やがて比較的乾いた内臓があらわれました。
「これが脾臓《ひぞう》で、これが肝臓だ。こいつが馬鹿に重いんだよ。これが胃で、この中にダイヤモンドがあるはずだ」
こういって彼は、指をもって胃袋の上面を触れました。
「ダイヤモンドは外からさわって見てもわかるはずだ」
暫くさわっていましたが、
「おや、おかしいぞ!」といいました。この言葉に、京山も思わず全身を緊張させて仙波の血に染った指の先を見つめました。
「おい、鋏《はさみ》とナイフを取ってくれ」と仙波がいいましたので、京山がそれを渡すと、手早く仙波は胃袋を切り開きました。
「無い。腸の方へ行ったのかしら」
こういって、
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