《かか》わらず、かような場所では底知れぬといってもよいような、沈着の不気味さが漂っているのであった。
 柱時計が二時を報ずると、背広の夏服を着た青年紳士が一人の刑事に案内されて入ってきた。右の手に黒革の折鞄《おりかばん》、俗にいわゆる往診鞄を携えているのは、言わずと知れたお医者さんである。人間の弱点を取り扱う商売であるだけに、探偵小説の中にまで“さん”の字をつけて呼ばれるのである。が、この人すこぶる現代的で、かような場所に馴《な》れているのか、往診鞄を投げるようにして机の下に置き、いたって軽々しい態度で三人に挨拶《あいさつ》をしたところを見ると、もう“さん”の字をつけることはやめにしたほうがよかろう。
「山本《やまもと》さん、さあ、そちらへおかけください」
 と、検事はいつの間にか昂奮を静めて[#「静めて」は底本では「靜めて」]、にこにこしながら医師に向かって言った。
「この暑いのにご出頭を願ったのは申すまでもなく、奥田《おくだ》さんの事件について、あなたが生前故人を診察なさった関係上、二、三お訊《たず》ねしたいことがあるからです。この事件は意外に複雑しているようですから、死体の解剖を
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