。たとえばお茶の中へ投じたとか、または夏のことですから飲料水の中に投じたとか、何か怪しむべさ事情があってもよいであろうに、令嬢に訊ねましても女中に訊ねましても、さっぱりわからないのであります。この事情が明らかにされて、しかもそれを裏書きするような物的証拠を得ない間は、健吉くんを犯人とすることはできません。それと同時に、わたしたちはたとい健吉くんに対する状況証拠がいろいろ集まっていても、物的証拠のない限りその物的証拠を捜すよりも、新しく事件を考え直したほうが得策だろうと思うに至りました。一般に現今の警察官にしろ司法官にしろ、物的証拠のない場合、先入見に支配されて物的証拠をどこまでも探し出そうとするために、色々の弊害を生じ、その間に犯人を逸してしまうようなことになりやすいのです。そこでわたしは健吉くんをひとまず事件から切り離してみたならば、どんなことを推定し得るかと思考を巡らしたのであります。
 健吉くんを事件から除いて考えるとき、まず未亡人が自殺するために亜砒酸を服用したのではないかと思われますが、その考えは言うまでもなく成立する余地がありません。未亡人には自殺すべき何らの事情もないし、
前へ 次へ
全33ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小酒井 不木 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング