のです。ことに都合のよいことには、自分が売薬店を開いていることです。すなわち、亜砒酸は手もとにある。ただそれを利用すればよいのだ。こう考えて亜砒酸を携え、奥田家へやって来たのだと推定しても、あえて不合理ではないと思います」
 山本医師は検事の言葉に、つくづく感じ入った。想像とはいいながら、いかにも事実を言い当てているように思えたので、思わず賛嘆の微笑を洩らした。しかし検事は、山本医師の微笑をも知らぬ顔して、論述を進めた。
「しからば、保一くんはいかにしてその亜砒酸を母親に飲ませたでしょうか。そこが健吉くんの場合と等しく問題なのです。もちろん、保一くんも母の病気がマラリアであるとは知らず、兄の健吉くんが母親に毒を与えているものと信じていたのですが、いかなる方法で兄が母親に毒を飲ませているかは知らなかったのです。で、自分勝手な方法で機会をうかがって毒を投じようとしたのですが、ここに図らずも保一くんにとって非常に好都合な事情があったのです。それは何かと言うに、その朝あなたから、未亡人に十時ごろ飲ませるようにと言って、一包みの散薬が届いていることを令嬢から聞き出したのです。で、保一くんは令嬢に向かって、ちょっとその薬を見せなさいと言って取り寄せ、ひそかに携えてきた亜砒酸をその中へ混ぜたらしいのです。亜砒酸は白色で無味ですから、決して服用する人にはわかりません。
 さて、わたしは以上の話を単なる想像のように申しましたが、実は、かように想像すべき事情、いやむしろ証拠というべきものがあったのです。それは何かと言うに、あなたがその朝、書生さんに持たせてやられた薬剤の包み紙を片田博士に分析してもらった結果、明らかに亜砒酸の存在が認められたのであります」

       4

 この言葉を聞くなり、山本医師の身体はゴム毯《まり》のように椅子《いす》から跳ね上がった。そうして、何か言おうとしてもただ唇だけが波打つだけで、言葉は喉《のど》の奥につかえで出てこなかった。
「まあまあ」
 と、検事は手をもって制して言った。
「なにもそれほど驚きになることはありません。あなたがお入れになったとはわたしは申しませんでした。あなたが書生さんに持たせてやられた薬の中に亜砒酸があったとて、ただちにあなたがお入れになったということはできません。だからわたしはまず保一くんに嫌疑をかけてみたのです。そうしていま申し上げたようなことが行われたのだと推定したのです。しかし、嫌疑といえば、保一くんばかりでなく、健吉くんにも令嬢にも女中にも、一応かけてみなければなりません。さきにわたしは健吉くんのことをいったん切り離して考えるよう申しましたが、ここに至って、健吉くんをふたたび引き出してくるのは少しも差し支えないと思います。かりに未亡人の前三回の発病がマラリアであると想像して、健吉くんに無関係であるとしても、健吉くんもまたその事情を利用して毒を投じたと考えてもよい理由があるのであります。というと、前三回の発病でさえ健吉くんが疑われているのだから、四回めに毒を投じたならば当然健吉くんが犯人と睨《にら》まれるに決まっているから、まさかそんなことはすまいと思いになるでしょう。しかし健吉くん自身からいえば、前三回の発病には自分は無関係だから、四回めに毒を投じて他人に嫌疑をかけさせるように計画したと考えても差し支えありません。差し支えのないばかりか、そこに立派な理由があるのです。
 それは何であるかと言いますに、実は健吉くんの恋人なる大島栄子さんから聞いたことですが、健吉くんのほかにも栄子さんを恋している人があるのだそうです。だから、栄子さんとの結婚を母親から拒絶されて健吉くんが情死を迫ったのも、栄子さんを、そのいわば恋敵のために取られたくなかったためらしいのです、で栄子さんは、健吉くんと結婚ができなければ一生涯独身で暮らすと固く誓ったのだそうです。けれど、気の小さい健吉くんがなおも不安を感じたことを想像するに難くありません。したがって、健吉くんがその恋敵を除こうと企てたこともまた想像し得るところです。というと、健吉くんが母親に毒を与えてどうして恋敵を除き得るかという疑問が浮かぶはずですが、山本さん、あなたにはよくわかっているでしょう。あらためてお訊ねするのも変ですが、健吉くんの恋敵というのはあなただそうですねえ?
 いや、こんなことを訊ねてお顔を紅くさせては申し訳ありませんが、これも訊問の順序として致し方ありません。で、健吉くんがその朝、あなたのところから母親に薬の届いたのをさいわいに、その中へ亜砒酸を投じ、あたかもあなたが毒殺なさったように見せかけたと考えても、これまた決して不合理ではないと思います。
 さてこうなると、健吉くんが投じたのか保一くんが投じたのかさっぱりわからなくなってき
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