外務大臣の死
小酒井不木

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)居室《きょしつ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十分|腑《ふ》に落ちなかった。

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(例)[#地付き](「苦楽」大正十五年二月号)
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       一

「犯人は芸術家で、探偵は批評家であるという言葉は、皮肉といえば随分皮肉ですけれど、ある場合に、探偵たるものは、芸術批評家であるということを決して忘れてはならぬと思います」と、松島龍造氏は言った。
 晩秋のある日、例の如く私が、松島氏の探偵談をきくべく、その事務室を訪ねると、ふと英国文豪トーマス・ド・キンセイの、『美術としての殺人』という論文が話題に上り、にわかに氏は、その鋭い眼を輝かせて語り出したのである。
「あなたは、無論、エドガア・アラン・ポオの『盗まれた手紙』という探偵小説を御読みになったことがありましょう。フランスの某国務大臣が、皇后の秘密の手紙を盗んだので、パリー警察の人々は、一生懸命になって、大臣の居室《きょしつ》の隅から隅まで探したけれど、どうしても見つからないで弱っていると、素人探偵オーギュスト・ヂュパンは、警察の人々のやり方を批評して、大臣が詩人であることに気がつかぬから、いくら探しても駄目である、大臣はその手紙を普通の人が隠しそうなところへは決して隠してはおらない。最良の隠し方は実に隠さないで置くことだということを大臣はよく知っているのだといって、易々と手紙を取り返して来ますが、殺人でもそれと同じことでして、数多い殺人者の中には、立派な殺人芸術家がありますから、探偵たるものは、決してそのことを忘れてはならぬと思います。さもないと、犯人の捜索は不可能になり、事件は迷宮に入り勝ちになるのです」
「しかし、犯罪学の上から言うと、一般に無頓着に行われた殺人の方が、計画された殺人よりも却って探偵するに困難だという話ではありませんか?」と、私は反問した。
「無論そうです。計画された殺人では、いわば犯人の頭脳と探偵の頭脳との戦いですから、探偵の頭脳さえ優れておれば、わけなく犯人を逮捕することが出来ます。これに反して、無頓着に行われた殺人は、万事がチャンスによって左右されるのですから、むずかしい事件になると随分むずかしいですけれど、その代り容易な場合には呆気《あっけ》ない程容易です。ところが、もし犯人が文字通りの殺人芸術家であって、故意に無頓着な殺人を行ったとしたならば、それこそ難中の至難事件となるのです」
「故意に無頓着な殺人を行うとは、どんなことを言うのですか?」
「つまり意識して無頓着な殺人を行うことです。一口に言えば最上の機会をとらえて、無鉄砲な、大胆な殺人を試みることです」
 私は松島氏の説明が十分|腑《ふ》に落ちなかった。
「そういうような実例があるものでしょうか?」と私はたずねた。
「沢山あります。一昨年問題となったD外相暗殺事件もその一例です」
 私の頭の中に、一昨年九月二十一日の夜に起った外務大臣暗殺事件の記憶がまざまざと甦った。当時多数の嫌疑者が拘引されたけれども証拠不十分で放免され、その後数ヶ月を経て、内閣が更迭したので、遂に事件は迷宮に入ったまま今日に及んだのである。私は松島氏の言葉をきいて、氏が意外な例を引用したのに頗《すこぶ》る驚いたのである。
「けれど、あの事件は、まだ犯人がわかっていないのですから、果して殺人芸術家の仕業かどうか断言出来ないではありませんか」
 松島氏の唇には微笑《ほほえみ》が浮んだ。
「実は犯人はわかったのですよ」
「え?」と私は驚いて、思わず松島氏の顔を見つめた。
「びっくりするでしょう。内閣が更迭したのも犯人が知れたためです。そうして犯人の名は正式には発表されなかったのです」
「その犯人の名をあなたは御存知なのですか?」
「知っていますとも。実はその犯人が知れたのは、私があの事件に、内密に関係したからだといってもよいです」
 私は好奇心のために、息づまる思いをした。私は松島氏に向って、是非その探偵の顛末をきかせてくれと頼んだ。
「お話し致しましょう。その筋の人はもう大抵知っていて、いわば公然の秘密といってもよろしいから、お話しても差支ないと思います。犯人の名を知っている人の中でも、私があの事件に関係したことを知っているのは非常に少ないと思います」

       二

 一九××年九月二十一日の夜、D外務大臣の官邸で、盛大な晩餐会兼舞踏会が開催された。この会合は、ある重大な政治的、外交的の意味をもって行われたのであって、当夜は首相をはじめ各国務大臣夫妻、各国の使節夫妻、その他内外の顕官が招待されて一堂に集まることになった。その日は朝から空模様が頗る不穏であって、夕方から風雨がはげしくなったが、俄かに延期することもならず、会はそのまま開かれた。しかし、招かれた客は一人も欠席せず、所定の時間には、所謂《いわゆる》綺羅星《きらぼし》の如く着飾った婦人連と、夜会服に身を固めた男子連が、雲の如くに参集した。
 戸外の喧囂《けんごう》たる状態とは反対に、戸内では順序よく晩餐が終って、やがて舞踏会が開かれた。管絃楽の響は、さすがに風雨の音を圧迫して歓楽の空気が広いホールの隅から隅に漂った。白昼の如き電燈の光は無数の宝石に反射して、ポオの作『赤き死の仮面』の、あのダンス場の光景を思わしめる程であった。
 と、突然、電燈が消えて、ホールの中は真の闇となった。即ち、強風の為に起った停電である。三十秒! 一分! 依然として電燈はつかなかった。音楽は止んで人々は息を凝《こら》した。その時、ホールの一隅にパッと一団の火が燃えてドンという音がした。ヒューという戸外の風の音と共に、二三の婦人は黄色い叫び声を挙げた。次《つい》でどさどさ人々の走る音がした。外相官邸は瓦斯《ガス》の装置が不完全であったから、電気の通ずるまで待たねばならず、従って何事が起ったか少しもわからなかった。
 凡そ五分の後、数人のボーイが、手に手にランプを運んで来た。そのランプの光によって、ホールの一隅に起った恐ろしい出来事が明かにされた。即ち、当夜の主人公たるD外務大臣が、胸部をピストルで打たれて、椅子から辷《すべ》り落ち、床の上に仰向《あおむき》に斃れていたのである。
 丁度その時、外相は、首相と、米国大使と、I警視総監と四人で雑談に耽《ふけ》っていたのであるから、いわば外相暗殺は、皮肉にも警視総監の眼前で行われた訳であって、平素冷静そのものといわれている総監もいささか狼狽したらしく、外相を抱き上げて口に手を当てたり、脈搏を検査したりしたが、外相は既に絶命していて如何《いかん》ともすることが出来なかった。
 丁度その時パッと電燈がついて、真昼の明るさにかえったが、あまりに恐ろしい出来事のために、人々は三々伍々寄り集まって小声で囁き合った。暗殺の行われたときホールの反対の隅に居た外相夫人は直ちに駈けつけ、平素女丈夫と言われているだけに、少しも取り乱すところがなく、暫らくの間外相を介抱していたが、最早助からぬと見るや、警視総監と相談して、取りあえず官邸の内外を厳重に警戒せしめ、総監は自ら警視庁へ電話をかけて、現場捜索その他の手順を命令した。
 前後約十分間停電していたため、犯人が兇行後逃げ出して行ったという可能性は十分あった。しかし、停電は外相官邸ばかりでなく、その附近一帯に亙《わた》っていたから、停電が起ってから、犯人が外部から侵入したものとは考え難く、犯人は変装して客となってはいりこんでいたか、或は現にホールの中に居る客のうちの一人かも知れなかった。警視庁から駈けつけて来た捜索係も、ただ外相が自殺したのでなく、他殺されたのだという事実をたしかめる外、何の得るところがなかった。警視総監は首相及び内相と鳩首して、形式的にでも、来賓の身体検査を行うか否かを相談したが、事が外交の機微に関係していることとて差控えることとなった。
 かくて人々は、いずれも暗い気持を抱きながら、段々はげしくなった風雨を冒して帰って行った。I総監は捜索の人々と共に深更まで外相官邸に留まって、今後の捜索方針を凝議したが、犯人捜索の責任は自分の双肩にかかっているので、さすがに興奮の色をその顔に浮べていた。

       三

 局部的解剖の結果、外相の心臓から一個のピストルの弾丸が取り出された。その弾丸はアメリカ製のものであるとわかったが、日本へは沢山アメリカ製のピストルが輸入されていることとて、兇行に使用されたピストルそのものが発見されぬ以上、何の手がかりにもならなかった。兇行の現場には何一つ物的証拠はなく、従って、外相暗殺は、「|完全な犯罪《パーフェクト・クライム》」といってもよいものになった。
 物的証拠の何一つない場合に、犯罪は当然動機の方面から観察され捜索される。中には外相は首相の身替りになって殺されたのだという説をなす者もあったが、先ず、外相自身を中心として考察するのが順序であった。外相は公人であるから、殺害の動機は当然、公的と私的との二方面から研究すべき必要があった。そのうち私的の方面に就《つい》ては、夫人の知っている範囲では何一つ心当りとなるものはなかった。これに反して公的には対支問題、対米問題、対露問題など、考慮すべき事情が沢山あったので、警視庁では先ず、その各方面を厳重に取調べることになり、その結果、嫌疑者を数人|引致《いんち》するに至ったが、いずれも暗殺当夜の行動を明白に立証することが出来たので、事件は迷宮にはいってしまった。
 外相暗殺後約一ヶ月を経ても、何等捜索上に光明を認めなかったので、新聞は頻《しき》りに警察の無能を攻撃し、I警視総監は非常に興奮して、大いに部下を督励したが、やっぱり駄目であった。総監は平素犯罪学に興味を持ち、難事件などは、自分で捜索の意見を立てるほどの人であって、今度の事件は自分の眼前で行われ、しかも外相暗殺という重大な事件であるに拘わらず、どうした訳か捜査が思わしく発展しなかったので、興奮するのも無理はなかった。
 丁度警察の方で弱り切った時、松島龍造氏が、外相夫人から、犯人捜索を依頼されたのである。D外務大臣がかつて駐英大使としてロンドンに滞在していた頃、松島氏は外相夫妻と懇意に交際していたことがあるので、夫人は同氏に内密に捜索を依頼したのである。松島氏は、従来、警視庁の探偵たちに取っては苦手であって、警視庁では総監始め、松島氏の非凡な頭脳を常に恐れているのであるから、今、この警視庁の持てあました事件を松島氏が引受けるようになったのも、いわば運命の皮肉というべきであった。
 松島氏は外相夫人に依頼される前に、既に自分一人の興味のために、この事件を研究していて、到底尋常一様の手段では犯人を捜索することが出来ぬと信じていたので、夫人に依頼されたとき、そのことを告げて一応辞退したが、夫人は、「良人《おっと》を犬死させたくはありません。出来ないまでも、とにかく手をつけて見て下さい」と泣かんばかりに懇願したので、松島氏は熟考の結果、
「それでは、私が従来試みたことのない探偵方法を行《や》って見ますから、その取計らいをして下さいますか?」と言った。
「どんなことでも出来ることなら致します」と夫人はうれしそうに答えた。
 松島氏のいう所によると、兇行後一ヶ月を経た今日現場捜査をしたところが何も見つかる訳がないから、それよりも当夜の気分をもう一度発生せしめて、その気分によって判断を下したい。それには当夜集った客のうち、日本人の男子だけでよいから、適当な夜を選んで、三十分程官邸へ集ってほしい。しかもそれは極《ごく》内密にしてほしいというのであった。
 夫人はそれくらいのことならば訳なく出来ますと答えて、松島氏の要求を首相に相談すると、首相も大いに同情して、その手順を追ったので、いよいよ十月下旬のある夜、松島氏の探偵実験が、外相官邸で行われることになったのである。D外相の死後、首相が外相を兼任
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