一ヶ月を経ても、何等捜索上に光明を認めなかったので、新聞は頻《しき》りに警察の無能を攻撃し、I警視総監は非常に興奮して、大いに部下を督励したが、やっぱり駄目であった。総監は平素犯罪学に興味を持ち、難事件などは、自分で捜索の意見を立てるほどの人であって、今度の事件は自分の眼前で行われ、しかも外相暗殺という重大な事件であるに拘わらず、どうした訳か捜査が思わしく発展しなかったので、興奮するのも無理はなかった。
 丁度警察の方で弱り切った時、松島龍造氏が、外相夫人から、犯人捜索を依頼されたのである。D外務大臣がかつて駐英大使としてロンドンに滞在していた頃、松島氏は外相夫妻と懇意に交際していたことがあるので、夫人は同氏に内密に捜索を依頼したのである。松島氏は、従来、警視庁の探偵たちに取っては苦手であって、警視庁では総監始め、松島氏の非凡な頭脳を常に恐れているのであるから、今、この警視庁の持てあました事件を松島氏が引受けるようになったのも、いわば運命の皮肉というべきであった。
 松島氏は外相夫人に依頼される前に、既に自分一人の興味のために、この事件を研究していて、到底尋常一様の手段では犯人を捜索することが出来ぬと信じていたので、夫人に依頼されたとき、そのことを告げて一応辞退したが、夫人は、「良人《おっと》を犬死させたくはありません。出来ないまでも、とにかく手をつけて見て下さい」と泣かんばかりに懇願したので、松島氏は熟考の結果、
「それでは、私が従来試みたことのない探偵方法を行《や》って見ますから、その取計らいをして下さいますか?」と言った。
「どんなことでも出来ることなら致します」と夫人はうれしそうに答えた。
 松島氏のいう所によると、兇行後一ヶ月を経た今日現場捜査をしたところが何も見つかる訳がないから、それよりも当夜の気分をもう一度発生せしめて、その気分によって判断を下したい。それには当夜集った客のうち、日本人の男子だけでよいから、適当な夜を選んで、三十分程官邸へ集ってほしい。しかもそれは極《ごく》内密にしてほしいというのであった。
 夫人はそれくらいのことならば訳なく出来ますと答えて、松島氏の要求を首相に相談すると、首相も大いに同情して、その手順を追ったので、いよいよ十月下旬のある夜、松島氏の探偵実験が、外相官邸で行われることになったのである。D外相の死後、首相が外相を兼任したので、外相官邸は当分の間依然として前外相の家族によって住《すま》われていた。
 首相の御声掛りだったので、数十人の人々が、所定の時刻に参集した。まったくの秘密だったので、この夜のことは勿論新聞などに記載されなかった。人々は半ば好奇心をもって来邸したが、中にも警視庁の人々は、I総監をはじめとして、松島氏がどんな実験をして、どんな風に犯人推定を行うかと胸を躍らせて待ちかまえた。
 やがて松島氏は人々にホールの中へはいって貰い、外相の殺されたところに、首相とI警視総監に先夜のように着席してもらった。人々はどんなことをするのかと片唾《かたず》を嚥《の》んだが、その時首相から二|間《けん》程隔って立った松島氏が左の手を上げると、その途端に夫人の手で電燈が消されて真闇《まっくら》になり、次でパッと一団の火が燃えたかと思うとドンと音がした。松島氏がピストルを打ったのである。実験とはいいながら、さすがに人々は肝《きも》を冷したが、程なく再び電燈がついて、首相にもI警視総監にも何の異常もなかったのでホッとした。総監は過去一ヶ月間の心労によって、その頬に窶《やつ》れが見えたが、電燈がついた時、いかにも寂しそうに笑って首相と顔を見合せた。
「どうです、得る所がありましたか?」と、首相は立ち上りながらたずねた。
 松島氏は軽く会釈した。人々は何を言い出すかと一斉に松島氏の口元を見つめた。松島氏はその時、極めて落ついた声で言った。
「実に難事件です。あまりにスキのない完全な事件ですから、慾をいえば、たった一こと欠けております」
「え? 何か事件に欠点があるというのですか?」とI総監は訊ねた。
「そうです。いわばこの事件には、たった一つ大きな手ぬかりがあります」といって、松島氏はにこりと笑い、更に言葉を続けた。「それに、犯人もたった一つ手ぬかりをしております!」

       四

 不思議な実験によって、事件そのものに大きな手ぬかりを発見し、犯人の手ぬかりをさえ見つけた松島氏も、犯人そのものを見つけることは出来なかったと見えて、一月《ひとつき》を経、二月《ふたつき》を過ぎて、その年が暮れても、D外相暗殺の犯人は逮捕されなかった。松島氏は外相夫人に向って、ただこの上は時節を待つより外、施すべき術《すべ》のないことを告げ、いつかは犯人の知れる時期があるであろうという、はかない希望を与えるに
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