であって、夕方から風雨がはげしくなったが、俄かに延期することもならず、会はそのまま開かれた。しかし、招かれた客は一人も欠席せず、所定の時間には、所謂《いわゆる》綺羅星《きらぼし》の如く着飾った婦人連と、夜会服に身を固めた男子連が、雲の如くに参集した。
 戸外の喧囂《けんごう》たる状態とは反対に、戸内では順序よく晩餐が終って、やがて舞踏会が開かれた。管絃楽の響は、さすがに風雨の音を圧迫して歓楽の空気が広いホールの隅から隅に漂った。白昼の如き電燈の光は無数の宝石に反射して、ポオの作『赤き死の仮面』の、あのダンス場の光景を思わしめる程であった。
 と、突然、電燈が消えて、ホールの中は真の闇となった。即ち、強風の為に起った停電である。三十秒! 一分! 依然として電燈はつかなかった。音楽は止んで人々は息を凝《こら》した。その時、ホールの一隅にパッと一団の火が燃えてドンという音がした。ヒューという戸外の風の音と共に、二三の婦人は黄色い叫び声を挙げた。次《つい》でどさどさ人々の走る音がした。外相官邸は瓦斯《ガス》の装置が不完全であったから、電気の通ずるまで待たねばならず、従って何事が起ったか少しもわからなかった。
 凡そ五分の後、数人のボーイが、手に手にランプを運んで来た。そのランプの光によって、ホールの一隅に起った恐ろしい出来事が明かにされた。即ち、当夜の主人公たるD外務大臣が、胸部をピストルで打たれて、椅子から辷《すべ》り落ち、床の上に仰向《あおむき》に斃れていたのである。
 丁度その時、外相は、首相と、米国大使と、I警視総監と四人で雑談に耽《ふけ》っていたのであるから、いわば外相暗殺は、皮肉にも警視総監の眼前で行われた訳であって、平素冷静そのものといわれている総監もいささか狼狽したらしく、外相を抱き上げて口に手を当てたり、脈搏を検査したりしたが、外相は既に絶命していて如何《いかん》ともすることが出来なかった。
 丁度その時パッと電燈がついて、真昼の明るさにかえったが、あまりに恐ろしい出来事のために、人々は三々伍々寄り集まって小声で囁き合った。暗殺の行われたときホールの反対の隅に居た外相夫人は直ちに駈けつけ、平素女丈夫と言われているだけに、少しも取り乱すところがなく、暫らくの間外相を介抱していたが、最早助からぬと見るや、警視総監と相談して、取りあえず官邸の内外を厳重に警戒せしめ、総監は自ら警視庁へ電話をかけて、現場捜索その他の手順を命令した。
 前後約十分間停電していたため、犯人が兇行後逃げ出して行ったという可能性は十分あった。しかし、停電は外相官邸ばかりでなく、その附近一帯に亙《わた》っていたから、停電が起ってから、犯人が外部から侵入したものとは考え難く、犯人は変装して客となってはいりこんでいたか、或は現にホールの中に居る客のうちの一人かも知れなかった。警視庁から駈けつけて来た捜索係も、ただ外相が自殺したのでなく、他殺されたのだという事実をたしかめる外、何の得るところがなかった。警視総監は首相及び内相と鳩首して、形式的にでも、来賓の身体検査を行うか否かを相談したが、事が外交の機微に関係していることとて差控えることとなった。
 かくて人々は、いずれも暗い気持を抱きながら、段々はげしくなった風雨を冒して帰って行った。I総監は捜索の人々と共に深更まで外相官邸に留まって、今後の捜索方針を凝議したが、犯人捜索の責任は自分の双肩にかかっているので、さすがに興奮の色をその顔に浮べていた。

       三

 局部的解剖の結果、外相の心臓から一個のピストルの弾丸が取り出された。その弾丸はアメリカ製のものであるとわかったが、日本へは沢山アメリカ製のピストルが輸入されていることとて、兇行に使用されたピストルそのものが発見されぬ以上、何の手がかりにもならなかった。兇行の現場には何一つ物的証拠はなく、従って、外相暗殺は、「|完全な犯罪《パーフェクト・クライム》」といってもよいものになった。
 物的証拠の何一つない場合に、犯罪は当然動機の方面から観察され捜索される。中には外相は首相の身替りになって殺されたのだという説をなす者もあったが、先ず、外相自身を中心として考察するのが順序であった。外相は公人であるから、殺害の動機は当然、公的と私的との二方面から研究すべき必要があった。そのうち私的の方面に就《つい》ては、夫人の知っている範囲では何一つ心当りとなるものはなかった。これに反して公的には対支問題、対米問題、対露問題など、考慮すべき事情が沢山あったので、警視庁では先ず、その各方面を厳重に取調べることになり、その結果、嫌疑者を数人|引致《いんち》するに至ったが、いずれも暗殺当夜の行動を明白に立証することが出来たので、事件は迷宮にはいってしまった。
 外相暗殺後約
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