過ぎなかった。
それにしても、松島氏の見つけた、事件の大きな手ぬかりとは何であろう? 又、犯人はどんな手ぬかりをしたのであろうか? 実験の当夜それに就ての首相の質問にさえ答えなかったくらいであるから、無論外相夫人にも告げなかったが、I総監はじめ警視庁の人々は、何とかしてそれを知り出さねばならなかった。で、総監はそれについて非常に焦心したらしかったが、松島氏の頭脳には叶《かな》わぬと見えて、部下の人々のうちでも、松島氏の発見した二箇条の手ぬかりを発見するものは一人もなかった。
あくる年早々、I総監が半身不随に罹《かか》った旨が報ぜられた。世間では外相暗殺犯人の出ないことを心痛したために、そのような病気を起したのであろうと、大いに同情するものがあった。松島氏も同情組の一人であって、折があったら、一度総監を見舞おうと思っていると、二月の始めのある寒い夜、総監の官邸から、総監が是非御目にかかりたがっているから即刻来てくれという使者が来た。
事情をきいて見ると、総監は数日前より肺炎を併発し、主治医から恢復の見込がないと宣言されたので、息のあるうちに、是非松島氏に逢ってききたいことがあるから、訪ねてくれというのであった。松島氏は早速、身支度をして、迎いの自動車に乗った。その夜は殊更《ことさら》に寒くて、空から白いものがちらちら落ちていた。
総監の官邸は見舞の客で賑っていた。主治医に案内されて松島氏が病室にはいると、中央に据えつけられたベッドの枕許に夫人と看護婦とが椅子に腰かけて病人の顔を心配そうに眺めていた。総監は頭に氷嚢《ひょうのう》を当てて苦しい息づかいをしていたが、松島氏の顔を見るなり、にっこりと寂しく笑った。わざと薄闇《うすぐら》くした電燈の光に照されたその顔は、非常に蒼白く、唇は少しく紫がかった色を呈していた。頬は著しく痩せこけて、濃い鬚がかなりに伸びていたので、久しく逢わなかった松島氏には、別人のように思われた。
やがて総監は主治医と夫人と看護婦とに別室に退くよう命令した。夫人は気づかわしげな顔をして躊躇していたが、総監が苦しい息の中から、更に厳格に命令したので、名残惜しそうに立ち去った。
「松島さん」と総監は細い、しかしながら底力のこもった声で言った。
松島氏は軽く礼をして、枕元の椅子に腰を下し、総監の方へ顔を寄せた。
「わたしは、外相暗殺者の逮捕され
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