#「すけ」に傍点]に出た男も大怪我をした。
いよいよ博物館に納められて、順序として写真を撮影することになったが、写真師が助手を連れてやって来ると、天候のせいかどうしても光線の工合が悪かったので別の日に撮り直すことにして博物館を出たが、写真師は乗合自動車に乗る時に拇指《おやゆび》をはさまれて骨を挫き、助手が家へ帰ってみると、子供の一人は硝子《ガラス》窓にぶつかって重傷を負っていた。
こういう噂が拡まると後には木乃伊を眺めただけで祟りを受けるという風に言いふらす者が出来て来た。余りに評判が高くなったので時の宰相アスキスは、そんな馬鹿なことがある筈はない。その証拠に自分で行って見て来ようと言い出した。けれども閣僚達はもしものことがあっては内閣の更迭が行われぬとも限らぬので極力|諫《いさ》めてそれを思い止どまらせた。
博物館の番人達は当然異常な惧《おそ》れをなし、館長に向って、木乃伊を動かして下さるか、さもなければ私達はやめさせて頂くと言いだした。そこで幹部たちは鳩首合議の結果模造品を作って置き換え、本物を地下室へ入れることにした。それ以後祟りの話はぱったり絶えてしまった。もっともこれは世間には内証で行ったことであるが、アメリカのある木乃伊研究者はこの謀計を察して、館の当局者をなじったので、止むなく館長は地下室へ伴って現物を見せてやった。するとアメリカ人はいっそ内証でアメリカへお譲りにならぬかと言った。そこでさんざん持ちあぐんでいたこととて、間もなく相談一決してアメリカへ譲ることになった。そうしてそれを積み込んだ船は、かの今に人々の胆を寒からしめたタイタニック号であった。
空中の音楽
西暦一八七四年九月八日詩人メーリケはス市の閑居で七十回の誕生祝をやった。祝と言っても近親数人を招いただけであって、あっさりした晩餐が済むと間もなく詩人は寝床に入って眠った。ほどなく人々も去ってただ詩人の妹のクララと、娘のマリーだけは後片附をするとて長らく起きていた。
すると段々夜が更けて行って、辺りはしんと静まり返えり、木の葉の落ちる音さえはっきり聞えたが、突然二人の耳に美しい音楽が聞えて来た。それは恰度竪琴のような楽器の音《ね》で二人はいつの間にか微妙な曲調に魅せられて手を休めてうっとりと聞きとれていたが、やがてクララははっと我に返って、さて、どこで誰があの音楽を奏し
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