踏み入れるなり、彼女はさっと顔色を変えて、たじたじと後退《あとずさ》った。人々はもとよりその理由《わけ》を知らないから、多分彼女がお芝居をしているのであろうと、大いに笑って後退った彼女を無理に再び中へ押込んで、あまつさえドアーを立てて錠を下ろしてしまった。
次の瞬間彼女は悲鳴をあげて、ドアーを開けるべく力任せにゆすぶっていたが、やがてガチャンという物の落ちる音がして、そのままばったり静寂に返ったので、人々は気味が悪くなってドアーを開いてみると、哀れにも彼女は上から落ちて来たシビルの絵の額に脳天を打ち砕かれ血溜りをつくって死んでいた。
木乃伊の祟り
エジプトの王朝時代の墓を掘り出すものは必ず祟りを受けて不幸を受けたり死んだりするという言い伝えがある。のみならず発掘されてから諸方へ運ばれた木乃伊《ミイラ》がその行先でいろいろな祟りを起したという例もまた尠《すくな》くない。かつてロンドンの大英博物館にエジプトのある王妃の木乃伊が陳列された。記録によると西暦紀元前千六百年にテーベスに住んだ人であると分った。
ところが発掘に加ったド氏は木乃伊発見の二三日を経たある日、何気なく銃を取り上げると突然爆発して右の腕を失った。同じく発掘に携ったド氏の友人の一人は、その同じ年全財産を失い、今一人はやはり同じ年にピストルで打たれて死んだ。
木乃伊の所有者たるウ氏はカイロから帰宅してみると留守中に財産の大部分が無くなっていて、間もなく病を得て死んだ。木乃伊が英国につくなりウ氏はこれを他家に嫁入《よめい》っている妹に送ったが、妹の家には受取った日から不幸が続いた。彼女は先ず木乃伊の写真を撮らせるとて、ある写真師に来て貰って撮影せしめたが、数日の後写真師が来て言うには、誰も写真をいじらない筈であるのに写った姿を見ると、顔は木乃伊とは全く違った生きたまんまの恐ろしい眼附をした女で、とても気味が悪くて持って来ることが出来ませんでしたと言うのであった。その後間もなく写真師は不思議な病に罹って急死した。
恰度その頃、ド氏がある日偶然ウ氏の令妹に会った。彼女はすべての不愉快な出来事を物語った後、これ以上家に置いたらば、どんな不幸が起るかも知れないから早速大英博物館へ寄附するつもりだと言った。果して数日の後その事が実行された。ところがその時博物館へ運んだ男は翌週死んでしまい、すけ[
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