「どちらか」は底本では「どちから」]一人が白金を飲んでいるかもしれません。私は早く岡島先生の検査の模様が見たいものと、自動車の走るのさえ、もどかしく感じました。

   不思議なお茶

 読者諸君、諸君はエックス光線で身体の内部を検査するところをご覧になったことがありますか。それを行うには検査台の上に人を立たせ、後ろからレントゲン線で照らし、前にシアン化白金バリウムの盤をあてて見るのです。
 シアン化白金バリウムは、レントゲン線にあたると蛍光を発します。レントゲン線は衣服や筋肉は通過しやすいですが、金属や骨は通過しにくいですから、これらは影となって盤の上にあらわれるのです。ですからもし、木村さんか竹内さんが白金をのみこんでいたら、必ずその影が見えるはずです。
 ところが、岡島先生が熱心に検査せられましても、白金らしい影は二人の身体に見えませんでした。
「俊夫君! お二人とも飲んではおられないよ」
 と先生は真面目な顔で申されました。
「どうも有り難うございました。それで安心です」
 と俊夫君はさも安心したように、にこにこ[#「にこにこ」に傍点]して答えました。私はすっかり予期がはずれたので、いささか失望を感ぜざるをえませんでした。それから俊夫君は、
「木村のおじさん、竹内さん、まことにご苦労様でした」
 と身ごしらえをしている二人に向かって言いました。木村さんは笑い顔をしていましたが、竹内さんは、それ見たことかと言わんばかりに、ムッとした顔をしていました。
「さあ、これで僕の捜索の方針が決まったから、これから大急ぎで、心当たりを検《しら》べに出かけます。自動車は借りてゆきますから、お二人は電車でお帰りください」
 こう言ったかと思うと、俊夫君は岡島先生に挨拶して、私を引きずるように手を取って、表へ連れだしました。
「兄さん、大急ぎだ。途中でパンを買って、それから木村さんの家《うち》へ行くから運転手に全速力で走るように告げておくれ」
 木村さんの家へ行くくらいなら、二人をいっしょに連れてくればよいのに、これもやっぱり、俊夫君の竹内さんに対する反感のためだと私は思いました。

 淡路町の、いま起きたばかりの店でパンを買ってから、自動車で、人通りの少ない朝の街を快速力で走りました。俊夫君は、先方へばかり気がせいていると見えて、前かがみになって、ろくに口もききませんでした。私はとうとうたまりかねて、
「おい俊夫君!」
 と呼びますと、はじめて我にかえったように私の方を向いて、ニコリ笑い、自動車のもたれ[#「もたれ」に傍点]によりかかりました。
「パンなど買ってどうするの?」
 と私は尋ねました。
「木村のおばさんのところで朝飯《あさめし》を食うんだ」
「え! 朝飯を?」
「そうよ、おばさんのうちには、おいしいお茶があるよ。竹内さんさえ喜んで飲んでるじゃないか」
 私は先刻、木村さんの細工場に、竹内さんの飲むお茶の土瓶のあったことを思い出しました。
「僕もいっしょにご馳走になろうか?」
「いや、兄さんは先方へ着き次第、警視庁へお使いに行ってもらう」
「え? 警視庁? では犯人の見当がついたのかい?」
「まだ何とも分からんさ。けれどもことによると大きな捕り物があるかもしれん」
 と俊夫君は眼を輝かして申しました。
 しばらくしてから私はまた尋ねました。
「君は先刻、エックス光線をかけにゆくにはそれだけの理由があると言ったが、あれは本気だったかい?」
「もちろんさ!」
「どんな理由?」
「それはいま言えない」
「だって二人とも白金を飲んではいなかったじゃないか?」
「そんなこと、初めから分かっていたよ」
「え?」
 私はびっくりしました。二人が白金を飲んでいないことが分かっていたら、何のためにわざわざ岡島先生を煩わしたのであろうか。私はどう考えてみても了解することができませんでした。

 程なく自動車は木村さんのとこへ戻ってきました。物音を聞きつけたおばさんは、外へ走りだしてきました。
「俊夫さん、どうでした?」
 とおばさんは尋ねました。
「二人とも白金は飲んでおりません。僕は途中に用があったので先へ来ましたが、あとから二人は見えます」
 私たちは、自動車を待たせて家《うち》の中へ入りました。
「おばさん、竹内さんの下宿はどこでしょうか?」
「芝区新堀町一〇の加藤という八百屋の二階です」
「ちょっと、封筒を一枚恵んでください」
 おばさんが封筒を持ってきてくれると、俊夫君は、鉛筆で手帳へ何やら走り書きをしましたが、それからその頁《ページ》を破って封筒の中へ入れました。
「兄さん、これを警視庁の小田さんの所へ持っていってください。ゆうべはたしか宿直の番だったから、それから僕は事によると十時頃までは帰らぬかもしれぬが、うちで待っていてくれ」

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