暗夜の格闘
小酒井不木
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)白金塊《はっきんかい》の紛失
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時々|睨《にら》む
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はっ[#「はっ」に傍点]と思って
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白金塊《はっきんかい》の紛失
紅色ダイヤ事件の犯人は、意外にも塚原俊夫君の叔父さんでしたから、悪漢の捕縛を希望しておられた読者諸君は、あるいは失望されたかもしれませんが、これから私のお話しするのは、先年来、東京市内の各所を荒らしまわった貴金属盗賊団を俊夫君の探偵力によって見事に一網打尽にした事件です。
十月のある真夜中のことです。正確に言えば午前二時頃ですから、むしろ早い朝といった方がよいかもしれません。一寝入りした私は、はげしく私たちの事務室兼実験室の扉《ドア》を叩く音に眼をさましました。
「俊夫さん、俊夫さん」
と女の声で、しきりに俊夫君を呼んでいます。私が、
「俊夫君」
と言って、隣の寝台《ベッド》に寝ている俊夫君を起こすと、
「知っているよ、ありゃ木村のおばさんの声だ」
と言って俊夫君は大急ぎで洋服を着て、扉を開けにゆきました。
木村のおばさんというのは、親戚ではありませんが、俊夫君の家《うち》から一町ばかり隔たった所に小さい貴金属品製造工場を持っている木村英吉という人の奥さんで、俊夫君がよく遊びにゆきますから、きわめて親しい間柄なのです。
「俊夫さん、大変です。たった今うちへ泥棒が入って、大切な白金《はっきん》の塊《かたまり》をとってゆきました。早く来てください」
とおばさんは顔色を変えて申しました。
「どこで盗まれたのですか?」
「工場です」
「まあ、心を落ちつけて話してください。その間に仕度《したく》しますから」
と言って俊夫君は、例の探偵鞄の中のものを検《しら》べにかかりました。
おばさんが息をはずませながら話しましたところによると、昨日《きのう》津村伯爵家から使いが来て、伯爵家に代々伝わる白金の塊を明後日《あさって》の朝までに腕輪にして彫刻を施してくれと頼んでいったそうです。
この白金の塊はこれまで度々盗賊たちにねらわれたものであるから、じゅうぶん注意してくれとのことで、おばさんのご主人の木村さんは、助手の竹内という人と二人で十二時まで仕事をし、それから竹内さんだけが徹夜するつもりで仕上げを急いでおりました。
ところが、木村さんが寝床《ねどこ》へ入って、うとうととしたかと思うと、何か工場の方から異様な物音がしてきたので、早速とび起きて、工場の扉をあけて見ると、中は真っ暗であったが、妙な鼻をつくような甘酸《あまず》いような臭いがしたので、はっ[#「はっ」に傍点]と思って電灯をつけると、驚いたことに助手の竹内さんは細工台のもとに気絶して倒れ、白金の塊が見えなくなっていたそうです。
「すぐ警察へ電話をかけようと思ったのですけれど、夜分のことではあるし、それに、俊夫さんの方が警察の人よりも早く犯人を見つけてくれるだろうと思ったので、お願いにきたんですよ」
とおばさんは俊夫君の顔をのぞきこむようにして申した。
「おばさん心配しなくてもいいよ。白金の塊はきっと僕が取りかえしてあげるから」
十分の後、私たちは木村さんのお宅につきました。助手の竹内さんは、その時もう意識を回復して、平気で口がきけるようになっておりました。
竹内さんの話によりますと、木村さんが工場を去られてから四十分ほど過ぎた頃、突然、外から誰かが硝子《ガラス》を割ったので、驚いて顔をあげると、割れ口からいやな臭いのする冷たい風がヒューッと吹いてきて、そのまま覚えがなくなってしまい、木村さんに介抱されて正気づき、初めて白金の塊のなくなったことを知ったというのです。
俊夫君はこの竹内という人を、虫が好かぬと見えて、これまで、よく私に「いやな奴だ」と申しておりましたが、今、竹内さんの話を聞きながらも、俊夫君は、時々|睨《にら》むような目付きをして眺めましたから、私は俊夫君が竹内さんに嫌疑をかけているのでないかと思いました。
竹内さんの話を聞いてから、俊夫君は木村さんについて工場へ行きました。いやな臭いがプンとしてきました。工場は居間の隣にあって、居間よりも一尺ばかり低く、タタキ床で、三方が壁に取りまかれた八畳敷位の大きさの室《へや》でして、居間とは扉《ドア》で隔てられております。窓は北側にあって二枚の硝子戸がはめられ、その外側には鉄格子がつけられてあります。そして窓から二尺ばかり離れて細工台が置かれ、その上には色々の瓶や細工道具がぎっしり置きならべられ、なお三方の壁には棚がつけてあって、その上にも、色々の瓶や化学器械がいっぱい置きならべ
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