と思いますから。
 さて、肝臓硬変症はなかなか治りにくいものです。腹水を取り去ることによって患者は一時軽快しますが、すぐまた水が溜《た》まってきて、結局はだんだん重って死んでしまいます。しかし、血管が圧迫されるために水が溜まるのですから、血液の流通をよくするために、手術によって腹内の血管と腹壁の血管とを結びつければ、患者の生命を長引かすことができるということでした。え? それをタルマ氏の手術といいますって? さあ、わたしのときにはそんな名があったかどうかよく記憶しませんが、もしそのタルマという人が発見した以前にわたしたちがそういう手術のあることを教わったとすると、それを数えた△△教授は実に偉い学者だと言わねばなりません。いずれにしても、たといその手術を行ったとしても、もとより完全に肝臓硬変の患者を救うことは困難ですから、わたしはその女を診察して思わずも顔を曇らせずにはおられませんでした。
 すると彼女は、わたしの心配そうな顔を見て、
「先生、妊娠でしょう?」
 と訊ねました。わたしはこれを聞いて、思わずも、
「いえ、違います」
 とはっきり答えました。
 彼女はしばらくの間、じっとわたしの顔を眺めておりましたが、
「先生、本当のことをおっしゃってください」
 と、窪《くぼ》んだ目を据えて申しました。
「本当です。妊娠ではありません」
 わたしはこう答えながらも、もし彼女が妊娠であってくれたなら、どんなにか心が楽だろうと思わずにはおられませんでした。そうして、わたしはその時彼女に肝臓硬変症だと告げる勇気がどうしても出ませんでした。わたしが内心大いに煩悶《はんもん》しているところを見て、やがて彼女は言いました。
「先生、どうかよくわたしのお腹を眺めてください。先生には、わたしのお腹の中に宿っている恐ろしい怪物の頭が見えないのでございますか」
「え?」
 と、わたしは全身に冷水を浴びせかけられたような気がして問い返しました。彼女は“メデューサの首”に気がついているのだ。こう思うと、わたしはなんだか痛いところへ触れられたような思いになりました。
「先生」
 と、彼女は診察用ベッドに相も変わらず仰向《あおむ》きになったまま、わたしの顔を孔《あな》の空くほど見つめて申しました。
「わたしのお腹の中にはたしかに恐ろしい怪物が宿っております。先生は、ギリシャ神話の中に出てくるメデュ
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